キツネとタヌキ、稲荷神社と大膳神社〔6484〕2021/01/15
2021年1月15日(金)晴れ
厳しい冷え込みも一段落。ここは土佐稲荷神社。今朝、4時半過ぎ。
現在の町名で言うと二葉町。というか、土佐稲荷神社の社殿が建ってるのは二葉町で、その南東が稲荷町になる。らしい。とにかく土佐稲荷神社。
ネットで「土佐稲荷神社」と検索すると、大阪の、あの三菱色豊かな土佐稲荷神社のHPが出てきます。あのお稲荷さんも土佐稲荷やけど、ここも土佐稲荷。
明治初期から戦前まで栄えた稲荷新地の「稲荷」という名称は、このお稲荷さんに由来します。
で、以前にもご紹介したことのある、この玉垣。寄進者の名前が書かれたプレートが埋め込まれてますが、一番目立つのが「鬼頭良之助」さんね。幾度も書いてきた、土佐の大親分。「鬼龍院花子の生涯」で仲代達也演じる鬼政こと鬼龍院政五郎のモデルとなった、大親分。ただのヤクザではない。花柳界の顔役でもあり、イベンターでもあり、高知初の労働組合設立にも関わり、米騒動の際には庶民のために大活躍した、大親分。各所の神社の玉垣や百度石に、その名前を見ることができます。
ここも、そのひとつ。
そして、この玉垣にはいろんな方々のお名前があります。男性の名前。そして、稲荷新地にあったお店の名前も。戦時中に立てられたその石柱に隠されるように、「得月楼」。向こう側の石柱の後ろには「泉厳楼」。どちらも、稲荷新地を代表する料亭、遊郭だ。まあ、競争も激しくて栄枯盛衰もあった、稲荷新地の業界地図。
この土佐稲荷神社では、そんな競争を感じることはできんけど、こっから青柳橋を渡り、五台山の南へまわった下田川河口に鎮座まします大膳神社、通称「おたぬき様」では、稲荷新地の競争を感じること、できます。あの、池の中の赤い六角堂が印象的なお宮さん。「おたぬき様」へ降りていく参道には、稲荷新地の料亭、遊郭の名前や女将の名前が刻まれた玉垣などが立ち並ぶ。稲荷神社の玉垣が男性の名前ばかりだったのと対照的に、おたぬき様には女性が多い。
以前にも書いたように、稲荷神社はキツネ様で大膳神社はタヌキ様。タヌキは「他ヌキ」で、他者に抜きん出る、で、競争に勝つ、ということで、特に歓楽街の女性経営者などの信仰を集めた、というのが興味深いっすよね。稲荷新地の女将さんたちにとって、産土神の稲荷神社信仰よりもおタヌキ様信仰だった。のかも、知れんけど、間違うちゅうかも知れません。今朝もまた、見てきたように妄想する。
1月も、はや半分過ぎました。見てきたように妄想してる場合ではなくて、張り切って頑張って仕事仕事。