地域の歴史を知る、今を知る、未来を考える〔6432〕2020/11/24
2020年11月24日(火)晴れ
新聞読むと、コロナのことばかりでうんざりしたり、へんてこりんな事件があってガックリきたりすることもあるけど、季節の移ろいがわかって楽しかったりも、します。
今朝の高知新聞21面、地域欄。中村で一條大祭があったり、いのの大国様で「おなばれ」が行われたり、池川神楽が奉納されたり、と、秋らしい神事が各所で行われてるのを紹介した記事。実りの秋に、神に感謝する。稲作を中心とする日本人にとって、秋は大切な季節。
この右上に「稲生の歴史 写真でたどる」という見出しが見えます。高知大学地域協働学部の実習班が、稲生の民家を訪問するなどして集めた稲生の写真を、稲生の「ふれあい館」で展示する、という記事。いいっすね。石灰山と稲生の農作業風景などなど。
「稲生」は「いなぶ」と読みます。以前にも書いたけど、「稲生」という名称の村ができたのは明治9年のこと。長岡郡の下田村と衣笠村が合併してできた村。その村名は、「稲がよく生える」という意味から来てて、豊穣を願う人々の気持ちが込められてますねー。なんとなく大昔から「稲生」と呼んできたイメージがあるけど、さにあらず。
で、下田村の石灰山で石灰石の採掘が本格的に始まったのは、18世紀初頭とのこと。それまでも石灰石の産地としては知られていたみたいやけど、阿波からやって来た徳右衛門さんという人物が石灰焼きの技法を伝え、それから大発展をしたのが稲生の石灰。いや、下田村の石灰か。
なので、あの山(鉢伏山の南側)で石灰が本格的に採掘されたのは、約200年間、ということになる訳です。
以前にも書いたけど、稲生で石灰石が本格的に採掘されたのは1998年頃まで。今も石灰の工場は立ち並んでるけど、採掘している訳では、ありません。
採掘現場には以前、美しいエメラルドグリーンの湖ができてましたが、今はその痕跡もなく、その上にできた高速道路を自動車が疾走していく風景になりました。
今朝の新聞には、その稲生の石灰山と農作業の様子がおさめられた一枚の白黒写真。「夏でも雪が降る」と言われた風景ですな。そうでした。以前の稲生の山裾は、道路もなにも真っ白。今の若い学生さんたちは、あんな稲生を知らん訳だ。なるほど。
現在の航空写真はこれで、採掘華やかなりし頃の1970年代は、これ。1960年代はこれなので、山の変化がよくわかる。
こういう試みを若い学生さんたちがやるってーのは、良いことだと思います。
地域の歴史を知る。今を知る。未来を考える。
これ、大切。