曲線斜め堰〔6431〕2020/11/23
2020年11月23日(月)晴れ
今日は暖かい祝日。コロナでビクビクしながら、でも、あちこちの人出はなかなかのものらしいっすね。僕は静かに自転車で会社へ出掛け、諸々用事を済ませてから物部川沿いの土手を北上してきました。ここは山田堰遺構。
ご承知の通り、藩政期初期、野中兼山によって構築された取水堰で、この堰によって舟入川が浦戸湾へとつながることになり、香長平野の広い広い農地が灌漑された訳です。昭和47年、この上流800m地点に新しい堰が構築されるまで、野中兼山さんが構築した堰が基本的に継承されてきた訳であります。
眼下の山田堰の遺構。1960年代の航空写真を見ると、確かにこれが山田堰の一部であったこと、わかりますねー。
「土佐史談」。歴史ある土佐史談会の機関紙で、毎号、優れた土佐史の論文が掲載されてるんですが、時折、僕のツボ論文があって、嬉しい。最新号の275号では、土木の専門家の横山さんという方の、「兼山・土木技術の粋ー曲線斜め堰に関する総合的考察」と題する素敵な論文を読むことができます。知らんかった野中兼山の土木技術の凄さについて、論証されております。いや、すごい。
川に堰をつくる。これは、河川工学の中でもとても重要で、技術を必要とするもの。その形状については、様々なものがあるらしい。一番よく見るのは、河岸と垂直に、直線状に構築された堰。「直交堰」と呼ばれ、狭い川とかにはよくあります。今朝も出勤途上、大津で通って来ました。
江戸時代、いちばんよく構築されたのは斜め堰。中でも「直線斜め堰」は、全国至る所の河川に構築されてます。斜めにするのは、たぶん、水圧の分散と、取水。斜めにすると角に水が集まってきますきんね。
その斜め堰でも、わん曲してるのを「わん曲斜め堰」と呼ぶんだそう。それは、瀬戸内海に集中している形状。これは、川の流れに沿ったかたちで構築され、緩やかなわん曲を持った堰。これは、降水量が少ない瀬戸内に多く見られ、できるだけ河川の水を取水口に集めてくる工夫。
ところが。同じようにわん曲している、土佐の堰。野中兼山先生によって構築された堰は「曲線斜め堰」と呼ばれ、「わん曲斜め堰」ほどは流れに沿ってなくて、この中村、後川の麻生堰みたいな形状。
この形状を編み出したのは野中兼山先生なんですが、この形状の優位性について、様々な土木専門家が検証してるんですね。中でも東京大学の研究グループは、野中兼山構築の「曲線斜め堰」七箇所を徹底調査し、斜めになってることとふくらみが、水圧の分散にも役に立ちつつ取水にも便利という優れた機能を持っていることを検証してるんだそう。
野中兼山先生の自然を見る力。そして科学的思考と、努力。幾度も失敗を重ねる中で編み出していった、土木技術の粋。
この遺構のカーブは、そのような野中兼山先生の科学的思考と努力を表しているものだったのでした。そう思って眺めると、なんか、すごい。
今回の論文は、兼山先生の構築した堰について土木技術的な考察を行ってます。そこにも書いてるけど、東大の工学部用のテキスト「河川工学」には、野中兼山構築のインフラが例示され、河川技術者の目標として「川を見る目を錬磨する」ことの重要性を説いてるんだそうです。すごい。やっぱし、野中兼山って、すごい。
今日は静かに、先人の知恵と努力に感謝してきました。勤労感謝の日ですきに。