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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

盲腸線〔6421〕2020/11/13

盲腸線

2020年11月13日(木)晴れ!

盲腸線って、知ってます?

ウィキを見ると、こう書いてます。盲腸線。「公共交通機関において営業距離が短く、かつ起点もしくは終点のどちらかが他の路線に接続していない行き止まりの路線を指す」という説明ね。

この「営業距離が短く」が、どんくらい短いのかが難しいところで、土讃線とか予讃線を「盲腸線」とは呼びません。

では、ごめんなはり線は盲腸線なのか。ネットで調べても「盲腸線」とは出てきません。この汽車は、盲腸を走ってるのではないという認識で正しいのかどうか。

「盲腸線」で出てくるのは牟岐線、鳴門線ですね。牟岐線は結構長いけど、盲腸線で検索したら出てきます。でも土佐くろしお鉄道ごめんなはり線は、出てこない。牟岐線は80kmくらいあり、ごめんなはり線は40kmくらいなのにね。「営業距離が短く」の定義が、よくわからんねー。

間違いなく盲腸線なのは、鳴門線。高徳線の池谷駅から分岐して鳴門駅まで9.4km。堂々たる盲腸線だ。

1970年の時刻表見ると、徳島には、その他にも2線、盲腸線が見えます。小松島線と、鍛冶屋原線。当時、小松島港まで鉄路はつながってて、高知駅発小松島港駅行きの快速が存在しました。鍛冶屋原線は、高徳線の板野駅から分岐して鍛冶屋腹駅までの6.9km。当時から全国屈指の赤字路線として有名で、1972年に廃止とあります。典型的盲腸線。腫れて痛かった盲腸、てな感じでしょうかね。知らんけど。

 

僕らが盲腸線で連想するのは、内子線。僕が時刻表マニアだった頃、典型的な「盲腸線」として例示されてたのが内子線でした。

内子線。手元の1970年の時刻表を見てみると、予讃本線、伊予大洲駅から、隣の五郎駅で分岐して、内子駅で行き止まりの14.1km。1970年当時は、利用客も少なくて存続が危ぶまれるレベルだったのが、予讃線の短絡ルートに組み込まれることで状況が一変、盲腸線ではなくなり、乗客も増えたのが内子線。現在の内子線は、大洲市の新谷駅から内子駅までの5kmあまりだけ。予讃線の途中に内子線が挟まれている、という不思議な状況になっております。

で、予讃線はこの短絡ルートと、そもそもの予算本線である伊予長浜を通る海岸ルートの両方が存在することになる訳か。ややこしい。その海岸ルートの予讃線には「愛ある伊予灘線」という名称もつけられてます。誰がつけたか知らんけど。「愛ある伊予灘線」は、今は特急列車も通らない静かな鉄路の予讃線となってますが、とにかく海の景色が美しいっすね。

 

1970年の盲腸線「内子線」と、現在の予讃線短絡ルートになった路線図を並べて撮影してみました。こんな感じ。左が1970年10月で、右が2020年10月。

 

そう言えば、僕は盲腸、取ってません。未だ、痛くなったことないし。

そんな訳で、「営業距離が短い」という条件をクリアする盲腸線は、四国では、現在は鳴門線くらいではないか、と思う今日この頃です。どうでもいいですか?


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