べき乗則と高見山の野焼き〔6414〕2020/11/06
2020年11月6日(木)晴れ
今朝は10℃を超えてて、少し暖かい朝。
野焼きって、今は法律で禁止されてます。ネットで見たら、少しだけ例外も認められててこんな感じ。
で、あの高見山(皿ヶ峰)で野焼きができないか、と模索検討してる人々がおります。あの山に墓所があるKさんたち。なるほど、という模索検討。ハードルは高いけど、面白い話だと思いました。
写真は、弘化台入り口から南嶺方向を撮影したもの。筆山、そしてその左に高見山。
そもそも。このにっこりでも幾度か書いてきたように、あの山、しょっちゅう焼けます。焼けてました。何年かに一度は必ずどっかから火が出て、焼けてきた歴史を持ちます。なので、かなり特徴的な植生の山になってて高木はありません。Googleストリートビューで見るとこんな感じ。以前、高知大学の院生さんか誰かが高見山の植生について論文書いてて、それがネットで見れたと思うんですが、今はよう見つけません。代わりに、こんなページがありました。
そう。今、高見山は、その植生が危機的状況になっているんだそう。その理由は、火災がなくなったことと人の手が入らなくなったこと。
前回焼けたのは2017年3月だから、今から3年8ヶ月前。このページであるような草刈りが行われた翌年に焼けた訳です。その時のにっこりを読んでみましょう。どうやら、2017年3月の前に焼けたのは2009年1月。つまり、8年間焼けてなかった高見山なんですね。あの山の歴史の中で、8年間も焼けなかったことって、あんまし無いんではないでしょうか。
それでどうなったか。そう。こじゃんと、焼けたのでした。8年間伸びた植物は、かなりの量になっていたと思われ、今までの高見山火災では無かったくらい焼けました。三原兎弥太さんの墓所の説明板も焼けたくらい、焼けました。
「歴史はべき乗則で動く」。この本に書いてるように、災害の頻度は、その規模のべき乗に反比例するという興味深い事実があります。この地球の宿命として。
アメリカで数年前に発生した大規模な山火事は、それまでなかったような規模のものでした。理由は、それまで定期的に自然発生していた山火事を、人間の手で封じ込めてきたから、と言われてます。それにより、山の、火災に対する緊張状態が高まり、大被害をもたらすことになった、という話。頻度と規模の相関関係。
その地球の摂理に鑑みると、高見山の現状は危ないと思います。まだ前回焼けてから3年やけど、もっともっと植物が育つと、緊張状態がどんどん高まっていくのではないか、と、僕は危惧する訳です。
そこで「野焼き」案がでてくる訳ですね。
そもそも野焼きは例外を除いて法律で禁止されてるし、簡単に許可が降りるとは思えんけど、でも検討してみる余地は十分にあると思いますね。まずは、植生と植物の成長速度と植物量の調査でしょうかね。そして8年以上経過するとどんな植生になり、どのような脅威が有りうるのか、調べよう。
このページに書いてる野焼き禁止の例外例に、災害の予防というのがあるではありませんか。王弟されてる災害は「震災」「風水害」、そして「火災」。火災予防のために野焼きする、というのは「アリ」だと思う。もちろん野焼きのプロに、やってもらわんといかんけど。
焼畑が姿を消したけど、野焼きのプロって、どこに居るんでしょう。早うせんと、そんなプロもおらんなるし。
モタモタしよったら、しゅっと8年経ってしまいますよー。