大阪高知特急フェリーと関西汽船〔6372〕2020/09/25
2020年9月25日(金)雨
昨夜からしっかり降ってます。秋の雨。少し冷たい雨。
ここは新青柳橋の上。弘化台からタナスカに渡った、その橋の西端から雨の浦戸湾を撮影しました。静かに見える海面にも幾筋かの波が立ち、明かりを灯した船が何隻か浮かんでいます。
向こうには太平洋セメント。以前にも書いた土佐発電所は、24時間、あそこで発電しております。
右端には弘化台の灯りが見えてます。その向こうが高知港の岸壁。何度も何度も乗った「大阪高知特急フェリー」は、その岸壁に着岸していました。地理院地図の航空写真だと、この十字の場所。車で乗ったことはありません。初めて乗ったのは、たぶん、母校野球部が甲子園に出場した時。ブラスバンド部員だった僕は、応援団の一員として、大阪高知特急フェリーの「フェリー桂」に乗りました。なんで「フェリー桂」を覚えてるのかというと、1回戦の相手が京都の桂高校と決まってて、岸壁での応援団出発式で、応援団が「かっとばせ~ 土佐高 桂を倒せ~」とフェリー桂に向かってやってたのを覚えてるから。フェリー桂を倒したらいかんろう、と思いながらその風景を眺めてた記憶。
僕が子供の頃は「大阪高知特急フェリー」ではなくて「関西汽船」でした。「大阪へ船で行く」のと「関西汽船に乗る」のは、同義語だったと思います。乗ったことないけど。大阪高知特急フェリーの就航が1971年。なので、昨日、一昨日ご紹介している1970年の時刻表に載っているのは「関西汽船」なのでした。
また、時刻表の話です。だって面白いんだもの。
その時刻表の「瀬戸内海航路」のページを見ると、ありました。関西汽船。航路はいっぱいあるけど、その中に、高知と大阪を結ぶ船、ありました。
夕刻17:30に高知を出発、甲浦22:40、神戸5:40で、大阪着が7:10。逆に大阪発が19:20で、神戸21:00、甲浦3:55、高知着が8:50。
大阪高知特急フェリーとの違いは「フェリー」ではないこと。つまり、客船。そして甲浦や神戸に寄港してたこと。「明石丸1081トン」と「ひかり丸1053トン」が就航してました。大阪高知特急フェリーが4000トン~7000トン級だったから、随分と小さかった訳で、海が荒れたら揺れたでしょうねー。
その関西汽船の岸壁、どこだったのか、検証してみよう。
大阪高知特急フェリーは、この十字の場所でした。関西汽船は、ここ。この十字の場所。当時、フェリー埠頭はまだ埋め立てられておらず、こんな感じ。この場所に関西汽船の桟橋があって、大阪へ行く人たちが、紙テープで別れを惜しんでいたのでありました。小林旭は、映画「南国土佐を後にして」で、その桟橋でボコボコにされてましたねー。どうでもいいけど。
そうそう。以前にも書いたけど、大阪高知特急フェリーに初めて乗ったのは、正確に言うと、小学生のとき。弊社(当時は高知牛乳)の、三角パックの自動販売機がそのフェリーに設置してあって、その修理の為に、父に連れられて乗ったのでした。大阪へ行ける訳ではなく、出航までに修理せんといかんという慌ただしさ。それでも、あの華やかなキャビンの風景は、よく覚えてます。
まだ「自動販売機」というものが珍しく、しかも三角パック。
古い時刻表は、僕らを、時間旅行へと誘います。