時刻表は時空を超えて〔6371〕2020/09/24
2020年9月24日(木)曇り
興味が尽きない時刻表。昨日もご紹介した、交通公社の時刻表1970年10月号。今朝も、一仕事済ませたあと、ついうっかり束の間のタイムトラベルを楽しんでしまいました。もうね。気分は完全に50年前。
50年前と言いましても、自分にとってはついこないだみたいな感覚。若いヒトには信じられんかも知れんけど、これホント。そして、まあ、確かにあの頃から社会は変化したけど、でもあの頃の延長線上に今がある、という感覚は、ずっしりと身体に根を張ってます。既に新幹線もあったし、土讃線は中村まで通ってるし。
でも、改めて時刻表を眺めてみると、このタイムトラベル感はすごいね。すごい。
例えば、この左上にあるのは土佐電鉄の安芸線時刻表。国鉄の後免駅から後免町、そして安芸までつながるチンチン電車の時刻表。これ見ると、1時間に2本くらいの頻度で電車が走ってて、今のごめん・なはり線よりもずっと便利。そのままはりまや橋方面への直通も多いし。所要時間は、後免町~安芸が50分くらい。土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の各駅停車が41分くらいだから、そんなに変わらん。つまり、今よりもかなり便利だったこと、わかります。
右上。全日空のダイヤ。全日空の東京高知便って、1日に1往復しかしてません。しかも60人乗りのYS-11。東京高知は全日空独占だったから、とにかくこれだけ。プロペラのYS-11なので、所要時間は上りが1時間50分、下りが2時間10分。
飛行機で東京と高知を行き来するヒト、これっぱあのもんだった訳です。もちろん瀬戸大橋も高速道路もないから、自動車やバスで行くなんで、想像もできない時代。汽車はというと、朝8:20高知駅発の急行あしずり1号に乗ると、東京駅に18:55着で、10時間半の旅。それでもみんな、頑張って汽車で移動してたんでしょうね。飛行機、60人乗りが1往復しかないもの。今は、コロナがなかったら、JALの165人乗り5往復とANAの194人乗り5往復ですきんね。
そもそも東京高知の交流人口が、今よりも遥かに少なかったことは、想像できます。東京へ行く、てえのは、大変なことだった、そんな時代。弊社の商品も、まさか東京で販売するなんて想像もできなかったのが50年前のこと。
この半世紀の変化というものは、半世紀前に子供だった僕が感じている以上に激しい訳で、そんなことをわからせてくれる1970年の時刻表って、すごい。
そのほかにも大ネタ満載なので、また、追々ご紹介していこうと思ってます。
一昨日、奈半利まで自転車「ベージュの折りたたみ号」で走ったこと書いたけど、この時刻表に載ってる土佐電鉄安芸線の線路跡が自転車道になってる区間は、とても快適。電車の気持ちになってペダルを濃いだことでした。
まだ、ところどころに、安芸線の痕跡も残ってます。鉄橋とか。枕木が乗ったままの短い鉄橋痕跡も、安芸の近くに残ってるのは、奇跡かも知れません。この時刻表の4年後には廃止になった安芸線の鉄橋と枕木が、半世紀の時空を超えて、僕らに語りかけてくるもの。
東京と高知の往来は遥かに少なかったけど、県内の各地方にたくさんの人が暮らし、高知市との往来が遥かに盛んだった、時代。