精華小学校は残った〔6361〕2020/09/14
2020年9月14日(月)晴れ
なんか、もう、朝は寒いくらい。こないだの台風が過ぎ去ってから、一気に秋の気配が漂い始めた感じね。週間予報みたら、来週にはもう、最低気温が20℃を下回る予想。すごいっすね、地球。
さて。今日は国道197号を、高知へ向けて走ってます。国道197号というのは、高知の県庁前と大分市を結ぶ国道。と、思って走りゆう人は、少ないと思う。高知市から須崎を通り、葉山、東津野、檮原を抜けて県境を越え、愛媛県の日吉から大洲、八幡浜、そして佐田岬半島へとつながる道。佐田岬半島の先っぽ、三崎からは国道フェリーで佐田岬につながり、そして大分市へ。
高知の人にとって197号は、いわゆる梼原越えの道。梼原越えて、大洲八幡浜や宇和島へと繋がる道。梼原の皆さんは、最寄りの都会は宇和島やったりしますきんね。
と、申しますのも、この国道197号は、かつて「行くな」国道で、葉山から東津野、梼原へと上がっていく道が、狭くてクネクネでした。茶畑の間の狭い道をクネクネクネクネ。県境を越えて愛媛県に入ると、突然道が良くなって宇和島へ快適に繋がるイメージでございましたもの。
当時はさすが愛媛県、お金持っちゅう、などと言うておりましたが、今となっては高知県側の急峻な地形によるもの、ということ、わかります。
葉山と東津野の間のクネクネが解消されたのは平成3年のこと。もう、そんなになるのか。あの茶畑道も、懐かしい。
そしてここ。津野町立精華小学校。ここには、ちょっとした思い出が。
現在、東津野村と葉山村が合併して「津野町」になっており、津野町に小学校は3校。旧東津野村に「中央小学校」、旧葉山村に「葉山小学校」と「精華小学校」。
どちらの村にも、いくつもの小学校があったのが、児童数の減少で閉校、統合が相次いで、こんなになりました。葉山だけでも4校か5校、あったのに。
でも、旧葉山村に2校残ってるのは素直に嬉しいです。しかも精華小学校。
ここは、僕が中学校1年生のとき、入部したての吹奏楽部の夏合宿で来た、学校。以前、鏡第二小学校のこと書いたけど、あれは中2。生まれて初めて「クラブの合宿」を体験したのが、精華小学校でした。コンクールの四国大会に向けて、練習しましたねー。まだ楽器始めたばかりで、全然戦力にはならんかったけど。最終日の夜には、近在に住まわれてる皆さんをお招きして、ミニコンサートやったりして。なんか知らんけど「オブラディオブラダ」吹いたの、覚えてます。
もう、僕が中高で合宿に使った学校は、ほとんど無くなってしまいました。鏡第二小学校とか、東豊永小学校とか。なのに、ここだけは残っています。そんなに広くない旧葉山村だから、葉山小学校だけになってしまってもおかしくなかったのに、精華小学校は、残った。
もちろん校舎は新しくなってて、かつての面影はないけど、なんとなく懐かしい精華小学校。
今も50人くらいの児童数、あるみたいなので、しゅっと廃校にはならんでしょう。
そもそも、平成の大合併では、梼原町と東津野村と葉山村が合併する動きで進んでましたよね。ところが梼原町が単独で生き残る道を選択。そこで紆余曲折があって、東津野村と葉山村が合併したのでありました。対等合併なので、難しい。今も役場は旧東津野村に西庁舎、旧葉山村に東庁舎として存在してて、合併ってなんなんだろう、と考えさせられる中山間。
合宿のミニコンサートに集まってくれた皆さん、今はどうしてるんだろう。もう、半世紀近く前のこと。