台風10号と10号台風〔6352〕2020/09/05
2020年9月5日(土)晴れ
暑い。嵐の前の静けさなのか。こんな感じで、静かなまま通り過ぎて行ったらいいけど、そういう訳には参らんと思う今日この頃。被害の無からんことを、朝焼けの空に祈りました。
この朝焼雲の下は、若松町。最近完成した防潮堤の上から、五台山方面を撮影しました。堀川の河口で、対岸は中の島のとん先。
新防潮堤の外側に黒く写っているのは、旧防潮堤。これが、昭和45年の10号台風の後で築かれた、防潮堤。あの台風、高知では「台風10号」ではなくて「10号台風」という固有名詞で呼び習わされたりします。それだけ記憶に残る台風でした。
あの台風の高潮は高知の市街地に流れ込み、この若松町の北側、下知地区などを広く水没させました。これはいかん、ということで築かれた防潮堤が、この黒い部分。
あの台風のお陰というかなんというか、高知にとってラッキーなことが、一つだけ、ありました。昭和45年当時、浦戸湾は、その東側に湾が膨らんだ部分の埋め立てが終わっていました。そして計画では、その後、西側の膨らんだ部分も全部、埋め立てることになってたんですね。浦戸湾を守る会の皆さんなどの働きかけで、規模は縮小するようにはなってたけど。
そして、10号台風の高潮は、浦戸湾東側の埋め立て工事に起因するものではないか、という議論が巻き起こって、西側に計画されていた埋め立て工事が完全に中止となったのでありました。
もし、計画通り西側も埋め立てられていたら。想像するだに、恐ろしい。世の中の流れを読む、未来を想像することの難しさよ。工事を中止した英断にも、敬意を表したい。
でね。
この写真の場所の、10号台風の前の航空写真が、これ。海岸通りにそのまま船が着岸していたこと、わかるよね。ここは海辺の街だった。
土佐史談会の今井副会長が持っている絵葉書やビデオには、この堀川を遡上していく動画とか、ここに得月楼があった頃の風景が収められております。
そう。ここは、明治期から昭和の戦争まで、下の新地として栄えた歓楽街。今朝写真を撮ったこの場所のしゅっとネキに、得月楼がありました。
その前の河岸には雁木があって、たくさんの人や物が、乗ったり降りたりしていたのでありました。今は昔。
10号台風までは、ここは岸壁。親水性が非常に高い場所。その後護岸ができ、そして東日本大震災を受けて巨大な防潮堤が、完成。
風景は、どんどんと変わりゆく。
10号台風がきっかけで変わってしまった風景も、東日本大震災がきっかけで更に変わってしまったけど、今度の台風10号が特別な固有名詞で呼ばれる台風にならないことを祈りながら、静かな静かな暑い土曜日が、過ぎてゆきます。