この緩やかなカーブは〔6347〕2020/08/31
2020年8月31日(月)晴れ
昨夜は蒸せました。暑かった。今は5時過ぎで、会社の、僕の部屋の外からは秋の虫の音が聞こえてくるけど、まだまだ暑い8月の朝。その8月も、今日でおしまい。例年だと今日が夏休み最終日ということになる訳やけど、今年はもう、学校、始まってます。この暑いのに、子供たちも大変やね。熱中症予防に牛乳飲んで、頑張ろう!
ここは会社の近所。会社から北へ百数十メートル行った、交差点。右端の灯りが、弊社。今朝、3:50の風景。牛乳工場は、もう、動き始めています。
昨日、JR新改駅の話、書きました。同級生のS君から、あの駅から出たしゅっとのところに、アイスやおでんを売る店があったという情報。あんな山中の秘境駅やけど、昔は利用客もそこそこ居た訳ですな。まあ、そうでないと信号場から駅に昇格はせんかった訳で。
利用してたのは、新改駅から標高にして約100m下がった平山の集落のひとたちでしょうか。平山にはかつて小学校もあったくらいで、中学や高校へ通うのには、汽車だったでしょうから。夏はアイス、冬はおでんが売れたJR新改駅の風景。今は人よりイノシシの方が多い、新改駅。
で、駅と言えば、この写真の向こうには、昔、土電安芸線の物部川駅がありました。航空写真で見ると、こう。ありますね、駅舎。
そして、駅の向こうの橋の袂には、小さなお店屋さんがなかったでしょうか。アイスやお菓子やおでんを売る、お店。子供の頃、まだ南国工場ができたばかりで、父にしょっちゅう工場へ連れてってもらってましたが、物部川の土手を歩いてそのお店屋さんへ行ったような記憶があります。間違ってたらごめんなさい。
物部川駅は、戦時中は廃止されてたと言います。今の土佐くろしお鉄道の立田駅の場所にあった立田駅も、戦時中は廃止。代わりに、立田駅と物部川駅の中間に日章駅がつくられました。かなり敷地の広い、日章駅。
理由は簡単で、戦争だったから。今の高知空港の場所に海軍航空隊の基地と飛行場ができて、大きな軍事施設となりました。そこに軍需物資を輸送するため、日章駅がつくられたと思われます。物部川駅と立田駅が廃止されたのは、軍需物資を運ぶ駅の近くにあったからかも知れません。
で。
この右の道は、緩いカーブを描いて弊社の前を抜け、そこからは見事な直線で空港の方へつながっています。この直線は、この道が軍需道路としてつくられたことを意味してます。軍は、飛行場や道路を建設するのに、三角定規で線を引いたように設計しますきんね。
この道を、立田駅で荷物を積んだトラックが往来していた風景が、75年前の夏にあった訳です。ですが、この緩やかなカーブを見るたび、僕の妄想が膨らむのでした。これ、鉄道を引くつもりだったんではないか?
そう。この緩やかなカーブは、実に鉄道の線路に相応しいカーブに見ます。見えませんか?いちいち立田駅で汽車からトラックへの積み替えをしなくても、海軍航空隊基地まで鉄道をつなげてしまう方が簡単。海軍は、ここに鉄道を敷設するつもりで、こんなカーブの道を作ったのではないか。なんらかの事情で鉄道計画は中止され、道路だけになったのではないか。
もし、鉄道が飛行場まで引かれていたら、今頃、ごめんなはり線は高知龍馬空港に乗り入れしており、高知駅と高知龍馬空港をつなぐ「空港ライナー」なる汽車が走ったりしてたのかしてなかったのか知らんけど、どっちにしても、今とは全然違う風景が、ここにあったと思います。僕の妄想を刺激する、緩やかなカーブ。
カーブにうっとりしてる場合ではなくて、今日は月曜。一週間が始まります。今週も頑張って張り切って一生懸命仕事仕事。