光線〔6345〕2020/08/29
2020年8月29日(土)晴れ
暑い。暑いね。
写真は今朝、4時半過ぎの、鏡川大橋北詰。明けの明星が見下ろす堀川の上を、朝の車が通り過ぎ、ライトが光線のように流れてゆく。
光線。昨日、「光線画家」とも言われた小林清親のこと、書きました。浮世絵師としてスタートし、西洋画の技法も取り入れた独特の世界を確立した小林清親。その「東京名所図」の表紙を彩る「海運橋(第一銀行雪中)」もそうやけど、その風景画のなかの、光、光線の使い方が実に見事。他にも「大川岸一之橋遠景」とか「柳原夜雨」とか、そして「九段坂五月夜」とか。どの構図も、現在のその場所と見比べてみたら、なかなか楽しい。
で、光線。昨日、「都市空間のなかの文学」で、「〈光線〉という何の変哲もない単語が、明治の初年にはたいへん斬新なキャッチフレーズとなりえたことを想像するのは意外に難しい。」と書かれてること、書きました。そして、こうも書かれています。
「〈光線〉という言葉が、実感の裏付けを獲得したのは、明治七年の暮に銀座の表通りに点火された八十五基のガス燈がきっかけだろう。それは、煉瓦街の夜にふさわしいあたらしい光の修辞法をひらいてみせたのである。」
清親の絵に出てくる光は、月光であったり、提灯の灯りであったりと、必ずしも新しい文明開化の燈火が表現されている訳ではない。ないけど、それまで、光をそのように表現する画家が日本には居ませんでした。文明開化の光の表現。
「光線」という言葉。それは、明治期の人々にとって、なにかしら新しい、文明開化に匂いのする言葉であったのか。
そう思って、僕の大好きな「大言海」を調べてみたら、ありませんでした。「光線」という単語が明治期に編纂された日本語辞書「大言海」に収録されていないのである。ああ。
ところで、今、イチローが外野からキャッチャーに向けて投げる矢のような返球を「レーザービーム」と呼んだりします。パヒュームの視線もレーザービームだし、特撮もので正義の味方が悪者をやっつけるのもレーザービーム。
しかし、僕らが子供の頃は「光線銃」でした。ね?「光線銃」。
結構好きだった「キャプテンウルトラ」は、その主力とする武器が「光線銃」だった。主題歌の歌詞にも出てきますもんね。
♪太陽背にうけ光線銃でー 宇宙の怪物やっつけろー
あの主題歌って、作曲、冨田勲なんですね。ジャングル大帝とかキャプテンウルトラとか。冨田勲。
で、今はこうやってYouTubeで見れるけど、映像はともかく、音楽、カッコエー。
子供の頃「スリー ツー ワン ゼロ」と掛け声してから木の上から飛び降りる、みたいな遊び、やってた人が居ましたら手を挙げてください。僕はやってました。
不思議だったのが飛び出す(飛び降りる)タイミング。「スリー ツー ワン ゼロ ドカーン!」というタイミング。これだと、カウントダウンして、一拍置いてから飛び出す(飛び降りる)ことになってしまうのだ。だから「スリー ツー ワン ドカーン!」でないとおかしくはないか?という議論が、僕ら小学生の間で真剣に行われたことを、今、思い出します。
「光線」の話でした。
そう。かつて「光線」は、文明開化の匂いがするものであり、未来であり科学であった。文字通り、特別な「輝き」を放っていた「光線」。
ひとまわり廻って、再び「光線」という言葉が輝きを取り戻す日が来たら、楽しい。
さあ。今日は第5土曜日。奇数週の土曜日は清掃活動の日。今から会社のご近所へ清掃活動にでかけます。暑いねー。牛乳飲んでから、出発します。