梅雨明け、四ツ橋〔6314〕2020/07/29
2020年7月29日(水)梅雨明け
やっと、梅雨明け。いや、まだ梅雨明け宣言はなされてないけど、今日梅雨明けになるのは間違いないでしょう。まだ梅雨明けを宣言する担当者のおじさんが出勤してないだけだと思う。おじさんが出勤してお天気見たら「こりゃあ梅雨明けじゃわー」と宣言するのは目に見えてます。誰が担当か知らんけど。でもまあ、やっと夏になりました。
今、会社の自分の部屋でこのにっこり書いてますが、外は、これ以上ないくらいの「夏」が広がる。ああ。夏。待望の夏。
四国地方、昭和26年以降の梅雨入り、梅雨明けはこのとおり。流石に、8月になってからの梅雨明けってのは、ない。一番梅雨明けが遅かったのは2009年の7月30日で、今年はそれに次ぐ遅さ、という訳ですね。で、梅雨期間中の降水量の平均値がここに書かれてますが、今年はどんな数値になるんでしょうかね。いや、降りましたもの。
ここは今朝、5時半前の木屋橋。かるぽーとの前の電車通り。明けていく夏の空が美しい。
ここを「四ツ橋」と呼ぶのは、僕らより上の世代。橋がロの字型に四つ架かってたから、四ツ橋。堀川と横堀が交差する川の交差点に、井形に架けられていた、橋。
藩政期からずうっと架かってた橋は、ロの字の北の木屋橋と、西の幡多倉橋。
東の菜園場橋は、藩政期には架かってたみたいやけど、明治大正期にはそこには橋はなくて、昭和5年、九反田に中央卸売市場が開設された際に、架橋。
翌昭和6年、南側の納屋堀橋が架けられて井形が完成、四ツ橋と呼ばれるようになりました。
現在、橋として名前が残り、橋としての機能を果たしているのは木屋橋だけでしょうか。
あ。木屋橋という名称は、明治以降のものね。四国銀行木屋橋支店から横堀公園にかけて存在した商家、竹村家の屋号が「木屋」だったので、今は木屋橋。藩政期は木屋橋が菜園場橋と呼ばれておりました。
で、木屋橋。この写真は、木屋橋の真ん中に立って撮影したもの。電車通が横堀を渡る橋が木屋橋やけど、ここが「橋」と思ってる人は少ないでしょう。
ともあれ、今は電車が通る、橋には見えない橋、木屋橋だけになってしまった四ツ橋。
今朝のネタ元、手元の角川書店「高知県地名大辞典」が発行されたのは昭和61年。僕がひまわり乳業に入社した頃だ。その頃は、まだ、四ツ橋の面影、ありました。納屋堀橋は既に道路になってたけど。
その頃の航空写真は、これ。現在は、こう。僕が子供の頃は、こんな感じ。どんどんと四ツ橋の風情がなくなっていくの、わかりますね。
昭和61年発行「高知県地名大辞典」には「四つ橋」という項目が立てられてるけど、今、地名辞典をつくったら。「四ツ橋」という項目は立てられんと思います。今は誰も使わない「四ツ橋」。
大阪の地下鉄に四つ橋線というのがあって、なんばと本町の間に「四ツ橋」という駅があります。そこには、かつて、ロの字型に橋が架かってた訳です。長堀通りと四ツ橋筋の交差点のところね。戦後間もなくの航空写真を見ると、四ツ橋になってるの、よくわかります。
今、気付いたこと。大阪では、南北の通りが「筋」で、東西が「通り」やけど、高知では、南北が「通り」で東西が「筋」なのである。長堀通りに御堂筋。中の橋通りに大手筋。大阪と高知では筋と通りが逆なのだ。これは何故なのか。謎が深まる梅雨明けの朝。どうでもいいですか?
どうでもいいついでに、地下鉄「四つ橋線」は、「四つ橋筋」の地下を走るけど、そこにあるのは「四ツ橋駅」。これもちょっとした、謎。どうでもいいですか?