Milky Shadeの新田、役知、土居〔6313〕2020/07/28
2020年7月28日(火)曇り
今朝起きたら、鏡川の川面は霧。どんだけ湿度があるのか知らんけど、幻想的な風景が広がっておりました。こんな風景のとき、ビル・コナーズの「靄と感傷」というレコードのこと思い出す、と、幾度か書いてきたにっこりひまわり。なので今朝は別の曲にします。
MILKY SHADE
ミルキー・シェイド。渡辺香津身美のレコードなんですが、僕にとっては、KYLYN LIVEというライブ盤に収録されてる MILKY SHADE。このレコードが出たのは、丁度、僕が大学生になった頃。なのでよく聴きました。いや、レコードじゃなかった。カセットテープだ。カセットテープのKYLYN LIVE
最初の下宿では、音響設備はラジカセだけでした。レコード、聴けんかった。もちろんCDなんぞはこの世に存在してない時代だから、もっぱらカセットテープで音楽を聴いてましたねー。
レコードもかけられない部屋に住みながら、僕はバンドやったりしてた訳だ。
YouTubeにありました。ああ。懐かしい。それにしてもすごいメンバーやね。ペッカーは高知出身で、ペッカーのお兄ちゃん、よく知ってます。
それはともかく、MILKY SHADEの朝。鏡川大橋の向こうは霞んでる。北新田町。きたしんたちょう。にったじゃないよ、しんただよ。新田の西は、役知町。長宗我部時代、そこに直属の農民が住まわされたので、役知町。
その西は土居町。戦国末期、潮江城主森近江守の別邸があり、同族の森右近太夫が守っていたとのこと。森氏は、土佐郡森村の森氏。戦国七雄の一人に数えられる名族で、本拠は現在の土佐町役場のある界隈やけど、土佐の中原にも進出して潮江城(筆山)に城を築いてました。曲折あって、長宗我部配下に。
土居という地名は、各所にあります。そもそも、中世の豪族が、その屋敷の周囲を土塁で囲んで守りとし、その内側を土居と呼んだから、土居。
有名なのは安芸の土居やね。安芸氏の土居は、藩政期には五藤家の土居ともなり、今もその面影を伝えます。
他にも、県内には、池川土居、安居土居、窪川の土居、野市の、香宗我部氏居城の土居などが、ありますね。そして上に書いた、土佐町の土居。
以上の情報は、角川書店「高知県地名大辞典」によります。
で、その「高知県地名大辞典」には、この鏡川沿いにある土居町は、その界隈を森氏が支配してた時代に、森氏が「森村土居の城主であったことから、この一帯を土居と呼んでいたのが町名の由来」と書いてます。なるほど。
僕は、そこに、森氏の居館を囲む土居があったから土居町と思ってました。世の中、知らないことだらけ。
ともあれ、役知町も土居町も、その町名は長宗我部時代に遡る由緒あるもの。
では「潮江」はというと、これは古い。賀茂御祖神社(下鴨神社)領の荘園として1090年に立荘されたという話も、あります。その荘園は康和の南海地震(1099年)の津波、地盤沈下で海没。その荘園は高岡郡津野村に立て替えられたといいます。潮江が農地として再興されたのは鎌倉時代になってから。
新田は。しんたは。慶長5年~寛永11年(1600年~1634年)に拓かれたのが「古新田」で、野中兼山以後に開拓されたのが「新田」とのこと。その頃から「しんた」と呼んでたのかどうかは、知りません。今度、地元の有力者Kさんに聞いときます。