定点観測17年と1日〔6304〕2020/07/19
2020年7月19日(日)晴れ
本当は昨日、定点観測17年をやりたかったのに忘れ果ててました。2003年7月18日、雨の金曜市の、17年後の風景。今日は17年と1日後やけど、まあ、仕方ない。僕がうっかりしてたので、仕方がない。やります。
ここ。この場所。かつて、愛宕の踏切があった場所。その踏切は、2008年2月25日を最後に踏み切りではなくなり、高架下の道路になったのでした。もう、12年前か。
17年前。土讃線高架の工事は始まってたけど、ここはまだ青天井で、そこで金曜市が開催されてました。たぶん今より出店者も多く、地元のお客さんで毎週賑わってた愛宕の金曜市。今ももちろんやってますが、こんな感じで高架下の金曜市。随分と雰囲気も変わってしまいましたねー。
この懐かしい踏切は、愛宕の踏切。愛宕の商店街は、愛宕の踏切とともに、ありました。よさこい祭りの愛宕会場は、途中で踏切を渡る会場。こんな感じで汽車が通ると、踊り子隊は、踏切で分断され、汽車が通り過ぎるのを待たんといかん会場でした。僕はいろんなチームのバンドマンとして、地方車に乗って、この踏切を幾度も渡ったことでした。一度、踏切を渡り始めたところで警報がカンカン鳴り始めたこと、ありました。前がつかえてて、すぐに進めない踏切上の地方車。なんとか前が進んで、遮断機を間一髪くぐり抜けた素敵な思い出があるのも、ここにあった踏切。一つ間違えば大事故やがな。
ここから東へ一ブロック行った所にも踏切があって、秦泉寺の自宅から中学、高校へ通うのには、そちらの踏切を渡る方が多かったっすね。その踏切は、時々、開かずの踏切になってました。各所の踏切が自動化されても、その踏切だけは手動。踏切番のおじさんが居て、ハンドルをクルクル回して踏切の上げ下げ、やってたのであります。その訳は。
当時、高知駅には車庫があって、貨車や客車の入れ替え作業も行ってたんですね。高知駅は短いので、その入れ替え作業は、場合によっては、その踏切の西まで使って行われてたのであります。信じられんかも知れんけど。その入れ替え作業に行き当たると、その踏切はしばらく開かない。ちょっと鉄分が濃かった僕は、その入れ替え作業を見るのも好きだったから、開かずの踏切が開くまで、飽かずに眺めてたことでした。開かずを飽かずに、なんちゃって。
中学生の頃、自転車で一緒に帰ったりしたことのあるI君。彼は鉄分が薄かったので、帰宅途中にその踏切が開かずになったら、こっちの愛宕の踏切まで迂回して、渡って帰宅してたと思う。そのI君が県庁職員となって、この高架事業の担当として用地買収などに携わることになったのは、ずっとずっと後のこと。開かずの踏切が嫌だったI君が、高架工事を担当するのは運命だったのか。知らんけど。
ともあれ17年の歳月を経て、風景は変わりました。いや、踏切と高架は変わったけど、そのほかはあんまし変わってないみたいにも見えます。
でも17年。金曜市のメンバーも変わったり変わらなかったり。世の中、変わったり変わらなかったり。梅雨が開けない梅雨の晴れ間の日曜の朝。クマゼミがワシャワシャワシャワシャ。