コロナと市場〔6305〕2020/07/20
2020年7月20日(月)曇り
午前3時20分。
この時刻に人々が活動している場所といえば、市場。ここは弘化台、高知市中央卸売市場。いや、正確には、高知市公設水産地方卸売市場(水産)と、高知市中央卸売市場(青果)。幾度も書いてきたけど、この中央卸売市場は、京都市中央卸売市場に次いで全国で2番目に開設された中央卸売市場なんですね。昭和5年のこと。でも、取扱高の減少で、水産部門は2014年に「中央」から格下げになって「公設」になっているのはご承知の通り。朝の3:20ですが、こんな感じで活動している、弘化台。
市場は、コロナでどんな影響受けてるのか。
日本の市場で一番大きくて有名なのは、豊洲。築地から移転した豊洲な訳やけど、飲食業界が苦しんでる影響で、豊洲も、仲卸を中心に厳しい状況が続いているみたいです。量販店の売上が好調だったけど、やはり業務用の消費にはなかなか追い付かんですよね。家庭での料理と、お店や宴会で食べる料理を比べてみたら、わかりますもの。
で、豊洲の飲食店街がどうなってるのか調べてみました。休止してた一般見学は、先月から再開。時間とかいろいろ制約はあるみたいですが。で、飲食店も、閉めてた店も多かったけど、再開してきてるそうです。
行ったことないけど、「江戸前場下町」というのができてて、家族連れで楽しめる市場スポットになってるらしい。僕にしてみたらちょいと小洒落過ぎやけどねー。まあ、どっちにしてもコロナの現況では、しばらく行けそうにはありません。
で、弘化台。弘化台では、毎月1回、土曜日に「市場開放デー」というのをやってて、一般客もいろんなもんぼ食べて楽しめるようになってるんですが、現在は休止中。その変わり、先月、「ドライブスルー販売会」というのをやってなかなか盛況やったと聞いてます。こんな時代。それぞれ、知恵を絞ってます。知恵の絞りどころ。頑張りどころ。踏ん張りどころ。
この弘化台ができたのは僕が子供の頃。昭和42年。九反田に中央卸売市場があったのが昭和5年から昭和42年までの37年間で、弘化台に来てからはもう53年になる訳で、ずっとずっと弘化台の歴史の方が長い訳やけど、まだ、九反田界隈に市場の匂いがそこはかとなく漂ってるのは、江戸時代からの歴史のせいでしょうか。
もし今も、九反田に中央卸売市場があったら、高知の風景は随分と違ったものになってたと思う。想像してみると、楽しい。九反田界隈は、普通に住宅もあるし、街にも近いからね。築地がそうであったように。築地が豊洲へ行ったのは、九反田が弘化台へ行ったのと似てるのかも知れんね。
弘化台には、住宅みたいなのは、見当たりません。高知の笑い話で、高知のお街で飲んで酔っぱろうて、タクシーに乗って「弘化台までやって」と言うて寝てたら、起きたら山田の工科大やった、というのがあるけど、僕はネタやと思います。だって、弘化台に、住宅ってないですもの。
さあ。月曜日。コロナはコロナやけど、知恵の絞りどころ。頑張りどころ。踏ん張りどころ。今週も張り切って、仕事仕事。