Take the lead〔6295〕2020/07/10

2020年7月10日(金)小雨
お狸様の朝。いや、八州の観音様の朝。観音様なんですが、大膳大明神として狸をお祀りしてるので有名。場所は、ここです。下田川河口の、とっても美しい場所。池に浮かぶ六角堂は、幾度かご紹介したこと、あります。
今朝は、道から拝殿へ降りていく階段を撮影してみました。まだ暗い時間なのでフラッシュ焚いて。
この玉垣は昭和7年12月にご寄進されてます。右手前に稲荷新地「玉島楼」の名前が見え、正面にも玉ノ尾楼など、稲荷新地を中心とした水商売関係者の名前がたくさん。
「五台山誌」に、お狸様に関する伝説が書かれてて、以前、このにっこりでも詳しく書いてるので、暇でしようがない方は、ぜひ、お読みください。
で、昭和初期の頃は「八州には古狸が住んで居り犯される」と云われるような場所であった訳やけど、昭和3年頃、浦戸湾十景の候補に選ばれるやいなや、地元と高知市の水商売関係者が図って、立派な拝殿や通夜堂を建てて整備した、と書いてます。as soon as、だ。
だからこの玉垣には、その頃の高知の繁華街の空気感がそのまま刻み込まれていると言うても過言では無いと思います。it is not too much to say、ね。
土佐史談会の今井さんが、明治44年発行「土佐名鑑」に掲載されてる、稲荷新地の料理店・貸座敷15軒のページをFBに上げておられます。そのリストと、この玉垣のお店とを見比べてみました。みましたが、どちらにもちゃんと確認できたのは、玉島楼だけ。玉垣には個人名しか書いてないのも多いので見比べてみたけど、同姓同名は、ない。明治44年と昭和7年なので、代替わりしてるのか、お店がなくなってしまったのか。
大正から昭和初期にかけてのこと。時代の波に揉まれ、お店の変遷も激しかったのかも知れません。
特に、昭和4年からの昭和恐慌は、経済に甚大な影響を与えておりますので、そこで繁華街の状況もかなり変わったのかも、知れない。
あと、大正7年からのスペイン風邪。今回のコロナ騒動に鑑みてみると、やはり飲食業はかなりの打撃を受けたんではないでしょうか。わからんけど。コロナになるまで、感染症と飲食業の関係に思い至ったことはなかったけど、スペイン風邪による飲食業への打撃、あったのかも知れません。
世の中の歴史って、こうやって何気なく近所に存在したりします。そこには人々の暮らし、生き様が、刻まれている。みんな、戦争や恐慌、伝染病を乗り越えて、生き抜いてきたんだ、と思うと感慨深いですね。
ちなみにお狸さまが飲食業界の、特に女性の信仰を集めたのは、おたぬき様だったから。たぬき。他抜き。他に抜きん出る。商売で、他に抜きん出る。Take the lead、なのだ。