フランク・チャンピオンとスペイン風邪〔6294〕2020/07/09
2020年7月9日(木)曇り
フランク・チャンピオンについては、このにっこりでも幾度も取り上げてきました。アメリカ人の飛行家で、大正6年来日、日本の各地で曲技飛行をして、飛行機という新しい時代の乗り物の啓蒙活動を行った人物。日本での最終飛行が、高知でした。大正6年10月。高知での興行を一手に引き受けたのが、当時の高知の顔役、鬼頭良之助。言うまでもないけど、「鬼龍院花子の生涯」の鬼龍院政五郎のモデルね。仲代達也が演じた大親分。
その高知での飛行の途中、左翼が折れて鴨部に墜落、亡くなってしまったフランク・チャンピオン。僕は子供の頃、父親にその話を教えてもらいました。鏡川の碑の前で。
あの碑を建てたのも、もちろん鬼頭良之助。
あの、てっぺんに飛行帽がしつらえられた碑が建立されたのは、事故から半年が経過した大正7年4月のこと。義の男であった鬼頭親分は、こういうところ、キッチリしてます。個人の力で建立してますきんね。で、昨日の高知新聞夕刊に、高知ライオンズクラブの皆さんが、この碑のこと、フランク・チャンピオンのことを刻んだ説明板を設置した、という記事。
さて。大正7年。
大正7年と言えばスペイン風邪。平成24年刊行の「土佐史談251号」に、大正7年秋から始まったスペイン風邪の流行と高知の状況について、公文豪先生が書かれてるという話は、以前も書いたですよね。その論文に、フランク・チャンピオンのこと、出てきます。それによると。
大正7年10月29日の土陽新聞に、フランク・チャンピオン記念祭の広告が掲載されているそう。11月に大々的に記念祭をやる、という広告。でも同じ日の記事に、「中学校の感冒数百名に上る」という見出しで、大流行が始まったことが報じられてます。でも、県庁の専門家は「欧州に流行せるのとは絶対に違ふのであるから感冒に罹ったといって無闇矢鱈に恐ることは要らない」と述べている、との記事も。
なんか、既視感、ありませんか?
ともあれスペイン風邪。その後猛威をふるい、フランク・チャンピオン一周年記念祭どころではなくなり、記念祭は「悪疾流行の為め無期延期」に追い込まれてしまったそう。
大正7年も、各種イベントは自粛に追い込まれた訳だ。
そんな話は、この記念碑の説明板には書かれてないと思うけど、このコロナ騒動の中でフランク・チャンピオンの碑の説明板ができたというのも、なんか、巡り合わせを感じてしまいます。
右側の記事は、香川の金刀比羅宮が神社本庁から離脱、というもの。神社本庁というから。公的な役所かなにかと思ってしまうけど、全然そうではない、任意の民間団体。でも近年、戦前を想起させるような政治的動きとともに、全国の神社の支配を強化する動きにでてるのには、僕も不安を感じてました。だって、神社って、そんなものではない。
右に置いてる本は、今読んでる、中沢新一さんの「森のバロック」。知の巨人であり、自然とともに生きた南方熊楠のことを書いた、本。じっくり読んでます。ゆっくり読んでます。南方熊楠は、明治末年、神社合祀令に対して猛烈な反対運動を展開しました。土着の信仰・習俗が毀損される、と。
南方熊楠が生きてたら、この神社本庁のありようを、どう評価してどういう運動を展開するだろう、などと思ったので、記事の横に並べときました。
さあ。新聞読んで、ゆっくりして。今日も忙しい1日が始まります。頑張って張り切って仕事仕事!