巣立ちの日、近し〔6292〕2020/07/07
2020年7月7日(火)小雨
またまた大雨特別警報。酷いですね、このところの天気。毎年数十年に一度の大雨災害で、○○豪雨と言われても、それはいつどこであったのか、こんがらがってくるくらい。だから根本的解決を目指すなら、地球環境改善に積極的な指導者を選ばないと、大変なことになると、僕は思います。今だけ金だけ自分だけ、は、いいかげんにしとかんと、ノアの方舟になってしまう。
ところでツバメ。弊社の本社棟玄関真上にツバメが巣をつくり、卵を産み、孵化し、育って育って巣立ち間近。産まれた卵は5個で、みんな元気に育ってます。嬉しいね。
5羽の雛がこんなにも速く育つということは、餌運んでくる親は重労働な訳で、本当にご苦労様ご苦労様。5羽の雛たちは、巣の下の僕らが作った糞除け台をテラスのように使って、キチンと並ぶようになりました。そして今は飛ぶ練習と、餌取りの練習に余念がない。もうすぐ巣立ち。
ツバメと言えば特急つばめ。しつこいですか?
こないだも書いたけど、超特急と言われた「燕」が東京神戸間を8時間20分で結んだのは昭和5年のこと。C51が牽引し、線路の軌条を頑丈にし、客車も振動少なくして実現した夢の超特急「燕」。
そして、特急「燕」の食堂車のメニューも、こないだご紹介しました。夕食のB定食が1圓50銭。昭和6年の小学校教員の初任給が45円ー55円だそうで、それから計算すれば今なら2万円から3万円でしょうかね。うーん。贅沢。「燕」で食堂車を利用する、ということは、そういうことだった。
それから後、鉄道はどんどんと庶民の足として発達し、寝台車や食堂車も、庶民が利用できるものになっていきました。
僕がいつも利用してた新幹線の食堂車は、ちょっと高めの庶民的レストランね。
食堂車には、子供の頃から憧れれた。だって、四国島内の汽車には食堂車がなかったから。土讃本線。急行だと車内販売があり、高知駅とかでは、駅弁売りの売り子さんがおりました。駅弁って、今でこそいろんな種類の駅弁が競うように存在するけど、当時の土讃線の駅弁は、とってもとってもシンプルな幕内弁当でした。それにあの、プラスチック容器のお茶。そうそう。缶飲料は既に販売されてたけど、お茶や水はなかった。お水を買う時代がくるなんて、思ってもみなかった時代ね。
あとは、阿波池田駅のホームで売ってたボソボソの祖谷そばか、宇高連絡船の甲板のうどん。高知に住む僕らにとって、そんなものが旅の楽しみでした。
だから、時刻表を眺めては、食堂車で食事をする日を夢見てた少年。
今も、企画列車とかで食事を楽しむの、あるけど、あれはちょっと違う。違います。目的地への移動手段としての鉄道でないと、違う。だから仕事で新幹線に乗るようになって、食堂車で食事できたときは嬉しかった。だから新幹線の食堂車が廃止になったときは、寂しかった。
食堂車とブルートレインの価値は、わかるひとにしかわからんのか。企画列車ではない価値。しつこいけど、リニア新幹線開通の暁には、新幹線ひかり号食堂車を復活させましょう。わかるひとにしかわからん鉄道の価値を、もっと広めたいと、巣立ち直前の元気なツバメを見ながら思いました。