増水の物部川〔6291〕2020/07/06
2020年7月6日(月)雨
このところの雨の振り方は、確かに違ってきている。
近年の研究で、地球の気象というのは、ちょっとしたきっかけでかなり急激に変動してきたこと、わかってます。気象の変動とか言われたら地質学的年代を思い浮かべてしまうけど、実際は数十年で劇的に気温や気候が変化した実例も、多かったみたい。福井県の水月湖湖底コアの調査などで、正確なデータが取れるようになってからわかってきたこと。2017年5月の新刊「人類と気候の10万年史」で読みました。
人類はついに一線を超えてしまい、新しい気象の地球が始まってしまったのかも知れません。
球磨川流域、酷いことになってます。心より、心よりお見舞い申し上げます。
一昨年の今日、7月6日のにっこりひまわりを見ると、大雨。物部川が増水し、氾濫危険水位を超えてる状況をレポートしてます。今日は、一昨日昨日の雨で、こんな感じ。これからかなり降る予報なので、気を付けんといけません。
一昨年の水位は、近年にない、異常な高さだった。
物部川の堤防は、野中兼山の時代から改修に改修が重ねられてきた歴史があります。僕が物心ついて南国工場へ来だしてから、堤防の高さはそんなに変わってないと思う。たぶん。でも、強度はかなり上がりました。東日本大震災の後、大規模な護岸、治水工事が実施され、かなり強くなってるとは思います。でも、あんな水位を見たのは、初めてでした。
もし、江戸時代に一昨年のような大雨が降っていたら。
物部川の氾濫で史上有名なのは、文化12年(1815年)7月の大洪水。山田堰から下流の堤防は尽く決壊し、濁流が香長平野を覆い尽くしたといいます。もし、今のような堤防がなかったら、一昨年のあの雨でも、香長平野は同じような大洪水に見舞われていたと思う。それは、間違いない。文化12年の大洪水は五台山まで押し寄せたといいます。琴平山で跳ね返された濁流も、被害を大きくしたといいます。中世の物部川河口だった前浜の、堆積していた浜堤が切れて濁流が太平洋に流れ出し、その事象は今も「切戸」という地名に残っています。
そんな惨状は、見たくない。
そんな、歴史に残るような大雨が、近年、毎年のように降ってます。この状況がこれよりも酷くなるとしたら、今の治水対策でも、危ない。
人類が自分や目先のことを最優先に行動し、それはそれとして、災害には巨大な防災インフラで対抗していく。そんなことがいつまでも続く訳が、ない。バベルの塔でもつくるつもりか?
一番重要で根本的な治水対策は、地球の将来をキチンと考える指導者を選ぶことかも知れません。
世界中に残る大洪水伝説。大洪水神話。それは、人類に反省を迫る神話。そろそろ、人類も反省しないと、新しい神話が生まれてしまう。ぼくも、反省します。