ハンズで買ったリュックサック〔6290〕2020/07/05
2020年7月5日(日)晴れ
昨日の大雨。九州では甚大な被害が発生してます。心よりお見舞い、申し上げます。治水とか水防とか、かなり技術や設備も進歩してる訳やけど、それよりも温暖化などによる気象変動の動きの方が速い、というふうに見えます。地球人みんなで考えんといかん問題やのに、自分や自分の目の前のことしか考えんヒトが指導者になるのは、不幸だと思う。
昨日は松山へ行ってました。西日本事業部の打合せの後、お店周り。そして夕方、伊予鉄高島屋の東急ハンズで買い物して、帰ってきました。
東急ハンズと言えば渋谷。学生の頃、東急ハンズはまだできたばっかしだった。たぶん、学生時代には、行ってません。仕事し出してから、東京へ行く機会があれば、立ち寄るようになりました。だって、あんな感じの店、東急ハンズくらいしかなかったから。高知にはとても売ってないような便利で変わった商品が魅力的でした。
今は、ああいったもの売ってる店も増えたし、ネットでなんでも買えるから、東急ハンズが特別、ていう感じはないけど、1980年代は特別なお店でした。少なくとも僕にとっては。
渋谷のハンズがあるのは、渋谷駅のハチ公口を出てスクランブル交差点を渡り、センター街からスペイン坂を上がったところ。坂の上の宇田川町。その界隈は、明治の頃、こないだ、田山花袋の文章で紹介したような風景が、広がってました。ハンズの北の丘の上に住んでた国木田独歩の家に、田山花袋はしょっちゅう訪れる。で、界隈を一緒に散歩したときの、文章。明治29年頃。
「丘の上の後方には、今と違って、武蔵野の面影を偲ぶに足るやうな林やら丘やら草薮やらが沢山あった。私は国木田君とよく出かけた。林の中に埋れたようにしてある古池、丘から丘へとつづく路にきこえる荷車の響、夕日の空に美しくあらわれて見える富士の雪、ガサガサと風になびく萱原海原、野中に一本さびしそうに立っている松、汽車の行く路にかかっている橋・・・」
こういう風景だった場所が、昭和11年にはこうなり、戦争でこんなになり、こんな風景を経て、今はこうなりました。十字の場所が東急ハンズ。
昨日、松山のハンズでは、こんなもの買ってしまった。13Lのリュックサック。これ、袋に入ってるみたいにみえるけど、展開するとリュックサックになります。
そう。レジ袋有料化で、お買い物袋をどうしようか、と考えてたところだったので、ついつい買ってしまったのでした。ポケットに入れて持ち歩きできる、リュックサック。これを買い物袋にしよう、と思ったのでした。
そう言えば、昔、布地がペラッペラで肩にかけるのが紐になってたやつ、ナップサックと呼んでましたよね。中学高校に通うのに、カバンは例の学生カバンで、体操服とかはナップサックに入れて背負って持ってってた。
今の学生さんたち、そもそもカバン自体がリュックサックになってますもんね。うちのJr.たちもそうやったけど、いつからああなったんだろうか。そしてあのナップサックはどうなったんだろう。
大学生の頃、バックパッカーというものが始まった頃で、フレームザックという便利なものが登場。でも、山登りの基本はキスリングでした。あの、黄土色の厚い布地の横に広いやつね。今はもう、キスリングというものが存在しないんだろうか。
ウィキ見てみたら、ナップサックは、「小型で簡易的なリュックサックをこう呼ぶ」「平成以降では学生の鞄としても普通に見られる。」と書いてあるではないか。あれがナップサックなのか?
僕らがイメージするナップサックとは、違う。この定義が正しければ、昨日僕が松山のハンズで買ったこれはナップサックという訳やけど、ちゃんとこのようにrucksackと書いてあって、これはドイツ語で背中の袋という意味で、肩紐はちゃんと幅のあるものなので、僕は「リュックサック」と呼びたい。
今日からは、買い物にはこの「リュックサック」を持って行こう。地球環境を少しでも改善し、災害のない、暮らしやすい地球を実現したい。