雨の寺村でしみじみ〔6289〕2020/07/04
2020年7月4日(土)朝は大雨
朝5時前。会社へ到着する際に車のラジオつけたら、熊本、鹿児島に大雨特別警報、という臨時ニュースが流れてました。梅雨前線に湿った空気が流れ込み、というやつですね。四国の太平洋側にも雨雲かかってるということで、高知も結構降りました。被害がないことを祈るばかり。
そんな大雨の高知を後にして、今朝は松山向いて走ってます。国道33号線。雨の国道33号。
ここは寺村。
寺村橋を渡り、トンネルへ入らずに、U字型の迂回路を走ってみました。トンネルが開通する前の迂回路。たぶん昭和33年までは、こちらのルートが本線だったと思われます。
松山街道。土佐高知から松山へ向かうには、かつては、池川から現在の国道494号のルートで美川村へと抜け、岩屋寺の下を通って久万へと抜けてたと思います。明治27年、仁淀川沿いルートの道路が完成し、そちらの道が幹線になり、今に至ってます。
今に至ってるけど、その道路には改修につぐ改修が重ねられてきてます。道路を広げたり直線にしたり。橋を架けたりトンネル掘ったりしながらね。だから、今は明治27年の頃の面影を偲ぶのは難しいのであります。
道路を走ってると、所々、川側に広くなってたり山側に広くなってたるする場所、ありますよね。こんな感じで、かつての道の痕跡がわかるような場所も、多いっす。
で、ここ。
ここは、かつての道路の面影を濃く残してると思われる場所で、僕は、好き。明治後半から大正、昭和の始めにかけて、土佐の人は、この道を歩いたり大八車引っ張ったり馬車使ったり人力車に乗ったりして、通ってました。もちろん、昭和になると自動車も。
そんな風景に思いを馳せるのが好きで、つい、こっちの道通ったりしますよね。しませんか?
このU字型の山の斜面には「寺村」という集落。近年は花桃の名所。「寺村」というくらいなので、お寺があったんだろうと思って調べてみると、明治5年まで成福寺というお寺さんがあったそう。佐川の青源寺の末寺というから、禅寺だ。廃仏毀釈のバカやろう、やね。その成福寺さん、大崎玄蕃の菩提寺だった、とされます。
おお。大崎玄蕃。
この西に大崎という集落があって、大崎城址があります。ここには大崎さんという豪族がおりました。戦国末期の御当主が、大崎玄蕃さんとされてる訳やけど、その大崎玄蕃は、武田勝頼である、という伝説があるんですね。武田勝頼は信長に敗れ、天目山で自害したとされるのが1582年。ところが自害したのは影武者で、土佐の香宗我部氏を頼って土佐へ落ち延び、この大崎へ入って名を大崎玄蕃を変えて1609年に当地で没した、という、伝説。
地元では、武田勝頼にからめた地域おこしで盛り上がってるらしい。
真偽の程は、知りません。
武田勝頼が来たかどうかは知らんけど、この山には大崎玄蕃菩提寺の禅寺があり、そのお寺を取り囲む村があり、その山裾に松山街道がつくられ、山の下に寺村トンネルが抜けて、山裾の道は旧道になりました。
道路の風景は、変わる変わる。
愛媛との県境にもこないだトンネルが開通し、こないだまで国道だった道は旧道になって車も通らんなりました。
新道ができて、その新道もまた旧道になって、新しい新道もまた旧道になって。
国道33号を走ってると、諸行無常が響いてくる。