伊福部昭の映画音楽〔6288〕2020/07/03
2020年7月3日(金)曇り
涼しい朝。今日は降るみたい。まあ、まだ梅雨ですきんね。
今朝も出勤途中、ちょっと遠回りして撮影してみました。高知のお街の中心部。地理院地図でいうと、ここ。この場所を高知のヒトに説明する場合「リブロードがあったところの角」と言います。そう。ここには「リブロード」がありました。
リブロードの写真、ないだろうかと思うて調べてみたけど、なかったですね。にっこりひまわりでは撮影してなかったリブロード。今にして思えば撮っときゃよかった。
さて。この場所。「リブロード」ができる前はMS劇場でしたね。映画館。火事で焼けてしまいました。昭和46年1月閉館なので、火事になったのはその時でしょうか。あの頃は、この界隈、映画館がたくさんたくさんありました。
この東には東宝。南に行くと東映。電車通り渡って松竹。でも、僕は映画少年ではなかったので、そんなに記憶がある訳ではありません。だから、どの映画をどの映画館で観たのか、記憶があやふやだったりします。
「ガメラ」観たの、どこやったっけ。僕はMS劇場で見たような記憶があるけど、大映の映画なので、違うかも知れません。僕の記憶はこれっぱあのもの。
で、映画に詳しい訳でもないのに、金高堂で見かけて「伊福部昭の映画音楽」という本、買ってしまいました。なかなか分厚い読み応えのある本ですが、昨夜完読。こういう本、結構斜めに読んでいくこと多いんですが、今回はついうっかり、キチンと熟読してしまった。伊福部昭の創作活動のすごさに圧倒されながら。
これ見たらわかるけど、伊福部昭、その作品の多さは尋常ではありません。これを、まったくのアナログの時代に作曲し、録音し、映画をつくってたというから、すごい。
伊福部昭といえば「ゴジラ」。ですが、日本のクラシック音楽という観点から見ても、優れた作品を多く残し、また、たくさんの弟子が日本の音楽業界で活躍したことでも功績は大きい。
ゴジラくらいしか知らんかった僕に、伊福部昭のすごさを教えてくれたのは、以前にもご紹介した、この本。「鬼子の歌」。今も時折読み返す、面白すぎる本。
僕の知らなかった世界。あまりにも知らんことが多すぎる。
で、伊福部昭作品では「ゴジラ」の「ドシラ ドシラ ドシラソラシドシラ」が有名過ぎるけど、僕が好きなのは「大魔神」。でも「大魔神」って、劇場で観たんだろうか。僕の記憶はこれっぱあのもの。
「伊福部昭の映画音楽」には、夥しい数の伊福部昭の音楽が紹介されてます。その中で、とても印象的な作品があります。「原爆の子」。昭和27年、新藤兼人監督の作品。その映画の中での音楽処理は、「The Technique of Film Music」というアメリカの映画音楽研究書で取り上げられ、高い評価を得ているものだそう。
映像に、敢えて映像とは対極の音響処理をすることで、際立たせていく「カウンタープンクト」という技法で、原爆の瞬間の悲惨さを伝えています。この映画、You Tube で見れました。かなり衝撃的なので、閲覧注意です。これの13分20秒くらいからの映像。
伊福部昭と、映画全盛時代の映画人の凄さを改めて思い知り、かつて映画館があった風景を撮影に、やってきました。
情報とかメディアとか、どんどん進化するけど、大切なのは、ものをつくる心。魂。それがなければ、いくら技術が進化しても、いいものはつくれない。
ものづくりに携わる者の端くれとして、肝に命じました。