すずらん灯とモダニズム〔6251〕2020/05/27
2020年5月27日(水)薄曇り
夜明け前の青柳橋。西詰、かつてロープモノレールの「青柳停留場」があった敷地の横から、出勤途中に撮影しました。橋の街灯が美しい。
ここに橋が架けられたのは、明治5年のこと。この橋は何代目になるんでしょうかね。街灯が、ちょっとおしゃれ。
これ、ちょっと鈴蘭型の街灯を思わせるフォルム。いわゆる「モダン」というやつね。
ネットで調べると、こんなページがありました。「東京すずらん通り連合会」。現在、東京都内だけでも、「すずらん」と名の付く商店街は20を超える、と書いてます。そのうちの幾つかが連合を組んだりするほど。
ここにも書いてるけど、日本で最初に鈴蘭灯がともったのは、大正13年(1924年)、京都、寺町通りでのことらしい。そうか。1920年代か。
ひまわり文庫今月の新刊で、「モダン都市東京」という本をご紹介しました。1920年代の東京を「モダン都市」と位置づけ、その時代の作家、文学作品を手掛かりにして、当時の雰囲気、空気を再現してみよう、という都市論。実に、面白いです。
取り上げられてる作家は、当時のモダニズムを代表するような最先端の作家さん。文学に詳しくない僕には馴染みのない作家さんが多いけど、その中に「吉行エイスケ」という名前がありました。
そう。吉行淳之介、吉行和子、吉行理恵の父にして、吉行あぐりの夫。
この家族、すごい。どういう家庭環境だったのか、すごく興味がありますね。芥川賞2人にエッセイストの女優に、連続テレビ小説のモデル。
数日前の高知新聞の、東京新聞提供「こちら特報部に」、吉行和子さんの「私の宝物」が紹介されてました。母あぐりを囲む吉行淳之介、吉行和子、吉行理恵の写真。戦争で焼けなかった貴重な写真なんだそう。
その写真にいない吉行エイスケは、1940年、34才の若さで、狭心症で急逝されています。
吉行あぐりは、連ドラでもあったように、市ヶ谷で美容室を開きました。
「青っぽいモルタル三階造りの、軍艦のような形をした、シャレタ建物があって、塔のような三階の狭い一室が吉行エイスケの居間になっていた。ここが前から、新興芸術派の仲間のたまり場のようになっていて、よきことやよからぬことを相談しあったりしていたが、・・・」
そんな場所がどこだったんだろう、と調べてみました。
「市ヶ谷見附を見下ろす靖国通りのはしの三叉路の角」とあるので、たぶん、この辺。
この建物が、昭和初期からのモダニズムを担った芸術家たちの梁山泊だったのかも知れない。と、思って見てみると、楽しい楽しい地理院地図。
吉行エイスケの作品は、アマゾンKindleで0円で読めるので、読んでみました。代表作「女百貨店」。銀座が舞台の話ね。
「空はリキュール酒のようなあまさで、夜の街を覆うと、絢爛な渦巻きが遠く去って、女の靴の踵が男の弛緩した神経をこつこつとたたいた。つぎの瞬間には男女が下落したカワセ関係のようにくっついて、街頭の放射線から人工呼吸の必要なところへ立去っていった。」
こんな文章。こんなのが流行った時代が、1920年代。モダニズムの時代。ダダの時代。
そしてその頃、鈴蘭型の街灯が登場し、高揚する日本のモダニズムと綯い交ぜになっていた風景。
てな話とは全然関係なく、未明の青柳橋の街灯は、今朝もなんとなくモダンに光っていました。
そんな話とも全然関係なく、さあ、今日も張り切って仕事仕事!