岸田劉生と切り通し〔6240〕2020/05/16
2020年5月16日(金)
ひまわり文庫今月の新刊で、昭和2年に東京日日新聞が連載した企画をまとめた「大東京繁盛記」をご紹介してます。その中に、大画家、岸田劉生さんの「新古細句銀座通」という文章が、ありました。これを「しんこざいくれんがのみちすじ」と読ませるのが、モダンというかなんというか。明治24年に銀座二丁目、服部時計店のところで生まれ、銀座で育ったという岸田劉生さん。銀座の風景の変遷を描いた文章は、なかなかに面白い。
その岸田劉生さん、大正4年頃は代々木に住んでて、代々木山谷の、変わりゆく風景を、絵画にしてます。「道路と土手と塀(切通之写生)」という題がつけられている、絵。
明治の頃までは森と畑だった起伏が切り通され、都市化していく風景が描かれてます。
この絵。
その坂は、どうやらこの道らしい。西から東へと上っていく坂道。上っていく左手、つまり北側には山内侯爵の邸があって、この絵の白壁は、その山内侯爵邸の白壁。
その山内侯爵は、もちろんあの山内侯爵で、その頃の御当主は山内豊景さん。土佐山内家、17代目御当主だ。幕末の御当主が16代目の豊範さんで、その息子さん。その時代の邸の白壁が、この、岸田劉生さんの印象的な絵に描かれているのでありました。
坂道。
この場所。ここをアナグリフで見ると、こう。起伏の坂道が、よくわかるし、まさしく切り通しであることも、わかりますね。すごい。
土地条件図で見るとこうだから、更新世段丘の入り組んだ谷から尾根へと上がっていく道ということ、わかるよね。右手の上が丘になってることも、よくわかります。この絵のように。
そしてこの坂、現在の坂を、坂下から見上げてみよう。ストリートビュー。これ。
だから、岸田劉生さんは、少しデフォルメして描いてること、わかります。
一昨日はミレーの絵の風景。昨日はゴッホの絵の風景を、ストリートビューで見てみたので、今朝は岸田劉生さんの絵の風景を見てみたのでした。
そして坂道、起伏、土地の成り立ちも、併せて楽しむありよう。
たぶん、タモリさんも、家で巣ごもりしながら、こんなこと楽しんでると思いますよね。こんなことして地図と戯れてると、飽きませんもの。
コロナ禍の中の過ごし方の、ひとつのありよう。
土曜の雨の朝。早朝出勤して、ひと仕事して、にっこり書いて、新聞読んで。
さあ。今日もコロナに負けずに仕事仕事。
今の過ごし方が、大切。今を考える。今やること、考える。今だから、考える。そんな雨の土曜日。