波止場とブルース〔6237〕2020/05/13
2020年5月13日(水)晴れ
夜明けが早くなりました。写真は、今朝4時半、出勤途上の弘化台。岸壁でポーズをつけてみました。あの、船のロープをつなぐやつ、なんて言うんですかね。石原裕次郎とかが片足かけてポーズとるやつ。マドロスの。
と思って調べてみたら、本当かどうかちょっと怪しげやけど、こんなページがありました。あのポーズ自体を「波止場立ち」と呼ぶのか。そして足乗せるあれは、ボラードというらしい。
あれ見ると、足乗せてポーズ取りたくなるのは、日本人男性の習性だと思う。パブロフの犬みたいに。
で、横浜の波止場とかにあるボラードは結構デカいので、足の長い裕次郎ならともかく、僕らが足乗せると体育の授業の柔軟体操みたいになってしまうけど、ここ弘化台のは小ぶりで、僕でも大丈夫そうだったので、乗せてみました。いや、それだけのことです。
なんでか知らんけど、この後、頭の中で淡谷のり子さんの「別れのブルース」が流れ始めて止まらない。今も、♪まどーをあけーれば~、と口ずさみながら、このにっこりを書いてます。
窓を開ければ 港が見える
メリケン波止場の 灯が見える
僕が好きな「別れのブルース」は、昭和12年、1937年に最初に発表されたやつ。昔買った「服部良一 僕の音楽人生」というCDに入ってて、ああ、こんな歌だったんだ、と妙に感動した、あのバージョン。テンポが、後年のものよりもかなり速い。昭和初期の日本のジャズバンドの雰囲気が、とってもいい。
そして。
むせぶ心よ はかない恋よ
踊るブルースの 切なさよ
YouTubeに、その音源があるので聴いてもらうとわかるけど、字幕は「ブルース」でも淡谷のり子さんの発音は「ブルーズ」だ。そう。その頃、ブルースはブルーズだったんだと、勝手に想像して、この歌をしみじみと聴いたことでした。
そもそもこの歌、服部良一が、ダミアの「暗い日曜日」を淡谷のり子が歌うのを蓄音機で聴いて、本牧を舞台に、淡谷のり子が歌うブルースをつくろう、と思いついた、曲。だから最初は「本牧ブルース」だったのが、会社側の大人の事情で「別れのブルース」になった、歌。
メリケン波止場は、今の大さんばしだから、ここ。戦後間も無くの航空写真で、こう。
本牧はここで、当時は山下埠頭も本牧埠頭もないから、メリケン波止場まではっきりと見えたんでしょうね。
同じ「服部良一 僕の音楽人生」には、別れのブルースの前年に淡谷のり子さんが歌った「おしゃれ娘」という素敵な曲も入ってました。一般のみなさんの淡谷のり子イメージとは全然違いますよー。土讃線が開通して、南国土佐大博覧会が開催された時代。でも、戦争の空気が濃くなってきた、そんな時代の佳い作品。
ここ、弘化台は、今朝も賑やかに鮮魚や生鮮品を乗せたトラックが行き交うけど、岸壁は誰もいない、静かなたたずまい。
石原裕次郎とか小林旭とかじゃないと、こんな格好はサマにならんことは、知ってます。
さあ。「別れのブルース」を口ずさみながら、そろそろ仕事を始めよう。
今日も良い一日になりますように。