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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

この向こうでオリンピック選手が〔6187〕2020/03/24

この向こうでオリンピック選手が

2020年3月24日(火)晴れ!

東京オリンピックも延期が濃厚になってきましたねー。コロナの野郎のせいで。出場が決定内定してた選手、内内定してた選手の心境いかばかりか。

仕方ないとは言え、釈然としない心持ちは如何ともし難いでしょうね。

 

選手中心に考えれば、そしてコロナが数ヶ月で収束するのであれば、秋に開催というのが一番良い訳だけども、たくさんの「大人の事情」がそれを難しくしてるのは、ちょっと悲しい。オリンピックって、そんな「大人の事情」の見本市みたいだから。

 

そんなオリンピックで、過去、金メダルを獲得した高知県人は2人。いずれも競泳選手で、いずれも昭和7年のロサンゼルスオリンピックでの金メダル。

このにっこりでは、1500m自由形で金メダルを獲得した北村久寿雄さんのこと、幾度か触れてきました。でももう一人いらっしゃいました。横山隆志さん。

北村久寿雄さんより4歳上だから、オリンピックのときは18歳か19歳か。北村さんの、高知商業学校の先輩になりますね。800mリレー自由形で、金メダルを獲得してます。高知商業学校から早稲田大学商学部。おう。先輩ではないか。知りませんでした。

北村さんは1996年までご存命でしたが、横山さんは1945年、心臓発作で早世されてます。

 

北村久寿雄さんが、子供の頃から近所の鏡川で泳いでたことは、わかってます。生まれたのは菜園場。まだプールがなかった当時、雑喉場橋の界隈は、格好の水泳場になっていたのでありました。上流と下流がうまく堰き止められて、流れの静かな、プールの様な状態になっていたと言います。

そこで、高知の若者たちは泳いだ。水遊びではなくって、本格的な水泳の練習として、泳いだ。

まだ日本に入ってきたばかりの、水泳の理論を、旧制高知高校の学生が翻訳して導入する。商業学校の水泳部の連中が、新しい理論を吸収しながら切磋琢磨する。

そこに、近所の、聡明で運動神経抜群な北村少年が毎日のようにやってきて、お兄さん達に混じって、水泳を上達させていく。

そんな風景が、目に浮かぶ。

 

横山隆志さんが北村さんより4歳年上、ということは。

高知商業の生徒であった横山さんが、雑喉場で、北村少年に水泳を教えた、ということは十分に考えられますね。いや、そうしてなかった方がおかしい。

その頃、北村少年は第五尋常小学校の生徒だったんでしょうか。

高知市内の、第一小学校から第六小学校までの歴史を、以前、纏めてみました。昭和7年まで、菜園場に、第五尋常小学校があったことは、わかってます。第六が明治44年に開校してるから、第五はそれ以前から存在した訳で、大正生まれの北村さんが通ったのは第五で間違いなさそうです。どっかに越境してなかったらね。

 

オリンピックの話でした。

後の金メダリスト達が練習したのは、この向こう。あのアーチが鏡川大橋なので、あのもう少し向こうで練習した少年たちは、昭和7年のロサンゼルスオリンピックで金メダリストになりました。

 

ここは弘化台。目の前に丸山台。そして鏡川の河口。あの高層ビルの南界隈で、金メダリストが育った時代がありました。

それ以降、北村さんの偉業を記念して市営ブールができたりしたけど、高知県人がオリンピックでメダルを獲ることはありませんでした。メダルはおろか、水泳では出場もね。

そんな中、今度の東京オリンピックの飛び込み競技では、久々に高知県選手がオリンピック出場にとても近い場所におります。高知の飛び込みの歴史には、弊社も少し関わったので、とても感慨深いものがあります。ありますが、さて。どうなるんでしょうかね。

 

ウィルスは仕方ない。仕方ないけど、「大人の事情」で選手を翻弄するのだけはやめてほしいと願って止まない今日この頃です。


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