入明駅でよかった話〔6160〕2020/02/26
2020年2月26日(水)晴れ!
暖かい朝でした。
今日は、汽車に乗って西へ。幡多酪農組合さんの総会が宿毛で行われるので、それに出席するべく、汽車に乗ってます。特急あしずり1号中村行き。
今は道路もずいぶんと良くなったので、高知から中村まで、車でも2時間半あれば行けます。が、高速道路もない頃は、3時間から3時間半かかってました。
当然、汽車の方が速い。
そんな訳で、よく汽車に乗って行ったもんです。
今日、汽車で行ってるのは、総会後の懇親会で飲まんといかんし、今日中には帰って来んといかんし、という理由です。大好きな汽車の旅を、のったりまったり楽しんでます。もちろん車内で仕事ができるのも、汽車の良いところですね。デッキに出れば電話もできるし。
ところで。
駅名って、どうやってつけられるんでしょうかね。例えば、高知駅とか松山駅とか東京駅とかは、そこが広域区画の中心であることから、そういう大きい名前となりました。
そうでなければ、その地域の名称をつけるのが通例。
高知駅から東へ行くと、薊野、土佐一宮、布師田、土佐大津、後免、土佐長岡、山田西町、土佐山田。なるほど、という駅名で、異存、ありません。
でもね。入明。いりあけ。入明駅。写真は、入明駅通過中の特急あしずりから撮影した写真。迂闊にも北側に座ってしまったので、こんな写真。通過中である証拠は、これ。屋根が符合するでしょ?
高知駅から西へ向かった最初の駅は、入明。もちろん地名だから、間違ったつけ方でもないし、ルール違反でもありません。
ウィキによると、入明駅ができたのは昭和36年のこと。ちょっと地味な感じがしてやまない、入明駅。
入明駅と、その西の円行寺口駅の間は、とっても短いです。800m。JRの駅の間隔としては、かなり短い。巨大な人口が密集する大都市部ならまだしも、高知ですきんね。
入明に駅がつくられた理由は、知りません。確かに、近所には高知大学附属小学校とか小津高校とか、大きな施設もあることは、ある。でも、必要に迫られたのかどうかは、なかなか微妙なところですね。
で、入明。
入明町という町ができたのは、角川日本地名大辞典によると昭和11年のこと。「町名は、地内の通称入明町にちなむ」と書かれてます。その通称の由来は、調べてないのでわかりません。
入って明ける訳だから、なんとなく縁起は良さそうね。知らんけど。
入明町の範囲は、これだけ。そう。これが入明町。西側の、高知大学の敷地よりも狭い、入明町。その狭い町名を駅名に採用した経緯は、どんなものだったんだろうか。
入明駅の北側は、幸町と宝町。どっちも良い名前ではないか。でも、他の地域にもそんな駅ありそう。と、思って調べてみると。
「幸町」は、広島電鉄の「舟入幸町」があるだけ。「宝町」は、地下鉄の都営浅草線と、長崎の路面電車、長崎電気軌道にあります。しかし両方ともJRではない。
ということは、入明駅が「宝町駅」であっても「幸町駅」であっても良かった訳だ。なんか、幸せになりそうな駅名では、あります。ウィキによる入明駅の所在地は「宝町」だから、「宝町駅」でも良かったところを敢えて「入明駅」にしたのは、入明にしたい理由があったからなんでしょうね。いや、僕は、入明駅で良かったと思ってます。
ともあれ、都会だったら有りがちな「西高知駅」にならなくて良かった良かった、などとイラんことを考えながら、汽車は西へとひた走る。
さあ。今日は幡多の酪農の未来を考えよう。