月の瀬橋の水天宮〔615〕2004/12/21
2004年12月21日(火)ど快晴!
暖かい冬です。今朝も素晴らしく晴れ渡りましたが、「しび凍る」という程ではありません。南国高知とは言え、クリスマスの頃はもうちっと冷やいですよね。
さて、今朝も早朝鏡川たつくりコースを走りました。ここは月の瀬橋北詰。
はりまや橋から路面電車で西進し、上町2丁目で下車して大きな交差点を左折、200m程南下した場所です。写真の「水天宮(すいてんぐう)」は、月の瀬橋の北、堤防上の小さい道の入り口に鎮座しちょります。ご存知水難除けの神様ですよね。
源平合戦のハイライト「壇ノ浦の戦い」で、破れた平家側の建礼門院とその息子の安徳天皇が入水したのは有名ですが、その2人を祀るために現在の福岡県久留米市に「水天宮」が建てられました。江戸時代後期の1820年代、高知の城下の久万さんという方が、この久留米の水天宮から勧請して来て自宅の敷地内に水天宮をつくりました。それが、いつの頃からかこの場所に移され、河童のいたずら除け、子供の水難除けの神様として尊崇されるようになったとのこと。
そうですね。今までに、このにっこりで何度もご紹介しましたように、この場所のすぐ北東には坂本龍馬の家がございまして、この前の鏡川で泳ぎまわりよった記録が残っちょります。お城下の子供達の水泳場のメッカとして、この界隈の夏はとても賑やかやったがであります。そうしますと河童もたくさん出没したことでしょう。
この辺りの鏡川は現在では遊泳禁止になっちょりますが、水天宮は今でもここに鎮座して、水難除けの神様として頑張っておられるのであります。