階段がないとスッキリ〔6133〕2020/01/30
2020年1月30日(木)晴れ
昨日は、夜、高知で会合があったので、飛行機で戻って来ました。ANA。久々にANAの飛行機で、大阪から帰って来ました。
ここは今朝の宝永町交差点。電車通りの、宝永町の交差点。歩道橋のある、あの広い交差点です。
今朝も寒くありません。このように、今月も一度も氷点下にならんかった高知市。最低気温が9℃11℃8℃8℃7℃10℃って、なんですかね、これ。1月の気温とは思えない陽気が続きます。どうやらこの1月も氷点下になることなく終わりそう。
このまま春になり、また、次の冬も暖かかったら。
2020年、高知市で一番寒かった日は元旦でした、みたいなことになるかも知れませんな。いやはや。
さて。
この写真。ちょっとおかしいところがあります。そう。歩道橋の階段が、ない。歩道橋を向こう側から渡ってきたら、ここで落ちてしまう。だから、向こうの登り口は立ち入り禁止になってました。
これはいったい何なのか。
看板がありました。どうやら、電車通りを西進してきた車がここで鏡川大橋の方へ左折するのに、横断中の人を巻き込む事故のリスクがある。なので、その対策工事をしてるんだそう。どんな対策かは知らんけど。ともかく、一旦階段を撤去して、対策工事を行い、また、階段を取り付ける算段にかありません。なるほど。歩道橋を撤去する訳ではないんだね。なるほど。
以前にも書いたけど、今、全国的には歩道橋、撤去する方向にあると言います。そもそも、この横断歩道橋というインフラは日本独特のもの。安全確保のために、橋を渡れ、という自動車優先の考え方、少なくともヨーロッパとかには無さそうですもんね。
僕らが子供の頃に大量につくられた歩道橋。この電車通にも、たくさん架かってます。架かってますが、そこを歩いて渡ってる人、あんまし見ない。見ませんよね。少し遠回りでも、信号を渡ったりする方を選択する人が多いから。
この歩道橋、いつからあるんだろうか。これが現在の航空写真。十字の場所が、今朝の写真の場所。1970年代は、こう。既に、歩道橋、見えます。
1960年代は、こう。まだ、ない。
つまり、この歩道橋は1970年代に作られたということがわかります。
そう。このページのグラフをご覧ください。その頃、日本の交通事故死者数は、ピークを迎えてます。自動車の増加にインフラが追いついていない。
その後死者数が減ってきてるのは、いろんなインフラや社会環境が整備され、意識も変化してきたからだと思う。インフラが追いついてきた。
さて。高齢化社会。
僕ももう、アラカン。足腰弱る日は近い。事故対策の研究も進み、交差点や信号には様々な工夫が施されてくるようになり、歩道橋は撤去される方向に歩み始めた、日本。
いやね、歩道橋って、結構危ないんです。階段のところ。見通しが悪いので、自転車と歩行者、自転車と自転車の衝突事故、増えてると思う。僕も、こことか、この南の常盤町の歩道橋とか、危ない思いしたこと、あります。
一番危険なのは、葛島橋西詰の歩道橋。道路南側の狭さ、見通しの悪さは、かなり危ないと思います。橋から下ってくる自転車、スピードでてますしね。
そんなこんなで、そろそろ歩道橋政策、転換しましょうよ。
それで事故が発生したら責任問題になる、ということでなかなか言いだせんのでしょうかね。
ここ。歩道橋の柱はまだ立ってるけど、階段がないだけで、見違えるようにスッキリしました。広いねー。
社会構造の変化に、インフラを追いつかせるのは、いつの時代も難しいんだと思う朝。