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米子城の石垣はカラフル〔6117〕2020/01/14

米子城の石垣はカラフル

2020年1月14日(火)小雨

商都、米子。江戸時代から、商売の町として栄えた、米子。鳥取県の西端、中海に面した町。昨日の夜、やって来ました。今朝は米子の市内RUN。特に、市街地を流れる加茂川沿いを走ってみました。

米子城の外堀としての役割ももっていた加茂川は、商都米子を支えた物流の動脈でもありました。

そんなに広くない、堀川。その川に沿って、廻船問屋など、たくさんの商家が並んでいた街並みは、今も、その面影を残していて美しい。川には無数の私橋が架り、道から家への出入りをするようになってます。

この加茂川を暗渠にして道路を拡張しよう、などという議論はそもそもなかったんでしょうね。お陰で、加茂川が米子の町の風景を美しくしています。遊覧船もあるし。うらやましいね。

 

で、小雨。なので、なかなか明るくなりません。まだ暗い中、標高90mの湊山へ、登る。スマホの灯りが頼りです。まだ真っ暗いので、当然だけども誰もいない、湊山。その湊山は、米子城址。平山城であった米子城は、その天守などの構築物は明治のはじめに壊されてしまいました。でも、立派な石垣が残っており、かつてはかなりなお城であったこと、想像させてくれます。

頂上の下には、幾層にもなった、石垣。一番高い場所に、天守台。

 

山陰を代表するお城といえば月山富田城。戦国期、尼子氏の居城として、そして山中鹿之介が活躍した城としてあまりにも有名な、月山富田城だけども、毛利氏の吉川広家が、月山富田城に代わる城として築城を始めたという、米子城。

城主はかなりの変遷があってるけど、最後は、荒尾氏。そして明治になって、建物は壊され、立派な石垣が残りました。

 

写真は、米子市内を見下ろす天守台。

その石垣を見てみよう。

昨日も書いたけど、お城の石垣は、その土地がどういった地層なのか、成り立ちなのか、といった地学に規定されます。

高知城の石垣は、チャート。徳島城は三波川変性帯の緑色片岩高松城松山城は、瀬戸内で優勢な花崗岩。

山陰は、大山に代表されるような火山が存在します。南海トラフの火山フロント。なので、石も、火山由来のものが多いのは当然。

 

調べてみました。米子城がある湊山は、米子流紋岩という火山岩でてきています。風化が激しくて、石垣には適していないという流紋岩。その流紋岩に、これも火成岩の安山岩が、ところどころで貫入しているんだそう。

流紋岩と安山岩。それに、米子周辺に分布している凝灰角礫岩と、新加茂川の対岸から産出される石英安山岩。そういった幾種類かの岩が、米子城の石垣には使用されている、と、文献にありました。

 

なるほどね。

この石垣をご覧ください。いろんな色。これ、いろんな種類の石が使われてるから、こんなにカラフルになってるんですね。どれが何の石かよくわからんけど、そういうことだ。

いろんな種類の石だけども、全部、火山由来。これが山陰の石垣の特徴なんでしょうかね。

まだ月山富田城へ行ったことないけど、その石垣も、機会があったら見てみたいです。

 

さあ。今から電車に乗って浦安。鳥取県の浦安駅。山陰は、高知とは全然違う気候風土、地質。でも、だからこそ、一緒にできる仕事も、多いと思います。

さあ。張り切って、仕事仕事!


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