鏡川の鴨〔611〕2004/12/17
2004年12月17日(金)今日も快晴。
ここは、鏡川、潮江橋下流。前方の橋が潮江橋。この界隈には、一年中色んな水鳥がやって来るのですが、今はかなりたくさんの鴨を見ることが出来ます。今朝は、この鴨の集団に近所のおんちゃんがパンをちぎって与えよりました。微笑ましい光景ですね。今の季節、鴨の他にも鵜や鷺の姿を見ることができます。楽しいですね。ここは鏡川北岸、昔の町名で言えば東唐人町。何度かご紹介しましたが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、同行して戦った長宗我部元親が、朝鮮慶尚道秋月城主朴好仁さんとその一族を連れ帰って来て住まわせたことに由来する地名。
豆腐商いをする特権を、山内一豊さんによって与えられちょります。天神大橋の西から九反田橋までの川沿い、細長~い地域が唐人町と呼ばれました。
明治18年に、現在の堺町あたりから東が東唐人町、西が西唐人町と別けられました。西唐人町にはやはり豆腐屋さんが多く住み、ここ、東唐人町には、魚売りなどが多く住みよったそうです。現在、鏡川の大堤防の内側は閑静な住宅街になっちょりますね。東唐人町の北には、順番に、「弘岡町」「朝倉町」「浦戸町」と続き、山内一豊さんの都市計画で、土佐の国各地にあった守護大名の城下町をそっくりそのまま移設してきたことに由来する町名を見ることができます。藩政期から明治にかけては、様々な商人が居住し、高知の城下の物流の中心地として栄えました。現在の姿からはなかなか想像もつきません。
その当時からも、鴨たちはこの河原へやって来よったのでしょうか。