椿と椿山〔6091〕2019/12/19
2019年12月19日(木)晴れ
それにしても暖かい。ぬくい。昨夜はひろめでお客様と飲んでましたけど、暑いくらいの熱気でございました。善き哉善き哉。
ぬくいけど、季節は着実に進んでゆく。会社、本社棟の横では、白いサザンカが散り始め、赤い椿が咲き始めました。いやー、冬だ。
椿のこと書くと、すぐに椿三十郎のこと描いてしまうので、今日は別の話。
椿山。椿と関係あるのかないのか知らんけど、仁淀川町池川から伊予へ抜ける国道494号線から山奥へと入ったところにある、平家の落人が住みついてできたといわれる集落、椿山。つばやま、と読みます。
このにっこりでも、幾度か紹介してますね。
ビックリするような山の急斜面に、民家が立ち並んでいます。
角川日本地名大辞典によると、長宗我部地検帳に「ツハ山」と出てるそうなので、昔から、つばやま。切畑、焼畑が数十年前まで行われてたので、新日本紀行かなんかでも取り上げられてた。椿山。
明治24年の戸数は45で、人口248人。
一昨年行ったときには、常住人口1人だったけど、あのNおばあちゃん、お元気でしょうかね。週末とかには、町へ出ている人たちが帰ってくるとは言うてましたが。
で、ビックリしました。Googleマップで衛星写真を見ると、こんな風景なんだけども、なんとストリートビューができるのである。こんな感じで。
もちろん集落の中を縦横に走る狭い道、坂、階段は見えんけど、全体の概観は、できます。うーん。Google、恐るべし。
248人から1人へ。
そして、これからどうなっていくんだろう。日本という国の将来を考えさせられる風景が、椿山にありました。
そうそう。椿は首からちぎれてぼっとんと落ちるので、江戸時代の武士は忌み嫌ったという話があるけど、あれは、江戸時代末期から明治になって言われ出した話らしい。つまり、武士がいなくなってから言われ出した、話。
多いっすよね、そんな話。特に天皇陛下や皇室にまつわる話とか、明治になってからムリムリ創られた、あたかも太古の昔から日本はそうであった、みたいな話、多い。
椿は、日本書紀にも登場するという、それこそ大昔から日本人に愛でられてきた花。今もこうやって美しく楽しませてくれる。
椿山は、源平合戦の昔から山の産業で栄えた村。これからどうなっていくのかは、誰も知らない。