ひとつの時代〔6088〕2019/12/16
2019年12月16日(月)晴れ!
昨日、交通インフラの変遷について書いたばかりだけども、今朝の新聞にはこんな記事。
「さよなら宇高航路」
そう。一社だけ頑張って運行されてた、高松と宇野を結ぶフェリーが、遂に運行休止となったのでありました。昨日の夜、高松港から宇野港へ向かったフェリーが最終便。船の出港というのはただでさえ物悲しい感じがするのに、昨夜の船出の寂しさ、喪失感はたまらんかったでしょうね。
でも、仕方ないこと。橋を架けてしまったから、仕方ない。今まで頑張って運行してくれてたことに、感謝せんといけませんね。ありがとうございました。
フェリーは、まだ橋が架かってない頃、たまに乗りました。まだ四国の外への商品の販売をしてなかったので、営業ではなかったけど。四国フェリーと、宇高国道フェリーを使った記憶があります。あ、これ、「うこうこくどうふぇりー」ではなくて「うたかこくどうふぇりー」ですきんね。
宇高連絡船は「うこう」で、宇高国道フェリーは「うたか」。これ、乗ったことある人は知ってる基礎知識。
宇高航路が始まったのは1910年と、この記事に書いてます。宇高連絡船。1910年というと明治43年。まだ、汽車は高松から琴平までしか走ってなかったから、高知県人は、宇高連絡船に乗る機会は少なかったと思います。高知まで汽車がつながったのは昭和10年だから、それ以降、高知県人にとってなくてはならないものになった、宇高連絡船。
僕が初めて乗ったのはいつだったろう。たぶん、50年ほど前。1970年の大阪万博で、大阪へ行ったときかも知れません。あの頃の本州は遠い遠い世界だった。
大きな船に乗ったのは初めてで、ゆるりと大きく揺れるのに驚いた記憶があります。それまで、僕にとって「船」と言えば、浦戸と種崎をむすんでたポンポン船のことだったから。
あれ以来、何回乗ったかわからんくらい、乗りました。
甲板のうどん屋さんの話とか、このにっこりで何回書いたかわからんくらい、書きました。
瀬戸内海に橋が架かって、社会の姿が激しく変わる。
宇高連絡船がなくなり、東京行きのさんふらわあがなくなり、大阪高知特急フェリーがなくなり、宇高国道フェリーがなくなりました。そして、昨晩、最後の宇高航路が消えた。
橋は安くなり、高知から大阪まで、車で4時間。
ひまわり乳業の商品は本州でも広く流通するようになり、僕も、営業で本州へでかける機会が増えました。それは、素晴らしいこと。
時々、あの、時間がゆったりの流れてた時代を思いだす。橋も高速道路もなかった、あの時代。連絡船でうどんを食べて、高松駅で走った、あの時代。感覚的には、ほんのこないだのこと。
現在の航空写真はこうで、宇高連絡船があった頃の写真は、これ。僕らはどこをどう走ってたのか、これでわかりますよね。
時は流れ、「菜食健美」は、西は九州、東は関東まで宅配されるようになり、「乳しぼりをした日がわかる低温殺菌牛乳」も関東まで進出しました。
昨夜、ひとつの時代が終わり、また次の時代が始まっていき、交通インフラもどんどんと変わってゆく。