介良川の風景と不審者と僕〔6089〕2019/12/17

2019年12月17日(火)曇り
師走ももう後半戦。飲み会が続く季節。せっかく成功したダイエットだから、リバウンドだけはしないよう、必死の抵抗が続きます。でも、色々とおいしいから大変。
昨夜は、珍しく忘年会は無し。なので、走って帰りました。新しいランニングシューズ が脚に嬉しい。心地よく五台山を駆け上がったりしてね。
そして晩ご飯は、いただき物の、貴重な貴重な岩手県岩泉町の短角牛。ステーキで食べました。土佐あかうしと同じ、霜降りを追求しない赤身中心のお肉。お肉の味がね。ちゃんとね。しっかりと肉の味わいを楽しめるのが、嬉しかった夜。色々とおいしいから大変。
今朝は自転車出勤。
ここは介良。中野団地の北側、パワーセンターの南。地図でいうと、ここ。この十字の場所に立って、撮影しました。介良川の河畔は、河川敷公園として整備されてます。
地理院地図の土地条件図で見ると、古代の風景が蘇ります。
中野団地も、古物部川の蛇行の間につくられてること、わかりますね。現代の風景も、太鼓の昔からの地形の文脈の上に、ある。
もっと上空から見てみよう。
有史以前。まだ、田村に人々が住み始めるよりもずっと前。物部川は、この写真の場所を本流としていたともいいます。本流は、長い年月の間に少しづつ、東へ東へと移動していったみたいですね。なぜ東へ本流が移動していったのか。それをプレート運動との関係で調べていったら面白そう。
ともあれ、この土地条件図で、大昔の、ここに物部の本流があった風景を想像してみましょう。
間氷期の、海水面が今よりも高い時代には、この界隈まで浦戸湾が広がってました。
氷期。今より海水面が100mも低かったような時代(ほんの2万年前)には、この西で本流は幾筋にも分かれ、五台山を挟むように流れて孕峡谷へと流れ込んでいたのでしょう。そんな風景を妄想すると、楽しい。楽しくないですか?
ここは、介良川親水公園というらしい。まだ真っ暗い時間なので、誰も歩いてないかと思いきや。
左端の対岸、草が生えてるところに何やら灯りが。誰かが、草むらに蹲み込んで懐中電灯で何かを探してるみたいな感じ。なんでしょうかね。
僕が自転車を止めて撮影始めたら、懐中電灯を消してどこかへ行ってしまいました。なんか、怪しい。
と、思いながら我が身を振り返る。
しょっちゅう暗闇の中を徘徊したり、立ち止まって何かを覗き込んだり、ときには池にぞぶりこんで立ったりしている僕の方が立派な不審者なのかも知れない。
さあ。仕事仕事!