床に倒れた老婆が笑う〔6085〕2019/12/13
2019年12月13日(金)晴れ
そんな訳で、月は流れて東へ西へ。
昨日が満月だったでしょうかね。今朝の月は、真ん丸から少しだけ欠け始めた感じ。でも、よく晴れた空に映えて美しい。
昨日の、西の地平線に沈む月を見ててふと頭に流れてきたのが「月は流れて東へ西へ」だった訳です。月、ということで思い浮かぶ歌の話を書こうと思ったんですね。でも、そうはならなかったのでありました。閑話休題のせいで。
そこで今朝は今一度、きれいなお月様を青柳橋の東から撮影して、「月」で思い浮かぶ歌のことなど書いてみようと思った訳です。
とにかく、すぐに思い浮かんだのが、井上陽水の「東へ西へ」。僕らの世代だと、そんな人、多いかも知れません。僕らが中学生の頃、井上陽水は大ブレイクしてました。
歌声、歌い方も独特だけども、メロディーと歌詞の取り合わせが絶妙だった。歌詞は不思議なものが多くて、こまっしゃくれた中学生にはピッタシだった。
「東へ西へ」にも、「床に倒れた老婆が笑う」などといったシュールな場面が出てくる。井上陽水の歌には、映画のような、映像的な効果があるの、多いっすよね。そしてそんな時代だった。
時代といえば「傘がない」。
僕らの中学校に、T島先生という若い国語の先生がいました。若い女性の先生。まだ、先生になって何年も経ってない、T島先生。そのT島先生が、あるとき、国語の授業で、「傘がない」の話をしました。それは1973年か74年のこと。70年安保も収束し、時代は学生運動の時代から、個人、個性の時代へと向かい始めてました。「傘がない」は、テレビや新聞で報道される社会問題とは関係なく、今、自分にとって一番大きな問題は、彼女のところへ会いに行くのに雨が降ってて傘がないこと、という歌。それを大袈裟に歌い切る、歌。T島先生は、この歌に象徴されるように、時代が変化してきた、ということを言いたかったのだと思う。なぜ、国語の授業でそんな話をしたのかは、謎だけど。
でも、T島先生は若い女性の先生ということで、僕ら男子中学生は、色々と意地悪したりしてました。たぶん、気を引きたいという心理の裏返しなんだと今になって思うけど。今更ながら、お詫び申し上げたいと思います。いや、僕はやってない。K原、おまえらだよ、おまえら。
みたいなマヌケな中学生時代を思い出してしまう、井上陽水の歌。当時はコンビニもなくて、ビニール傘もなかったから、あの歌詞が成立した訳で、今なら傘がなかったらコンビニで買えばいいじゃない、という話になる訳で、やはり時代を感じさせてくれる「傘がない」。
閑話休題、月の歌の話でした。
月で思い浮かべる歌のこと、書くつもりやったのに、陽水とT島先生の話になってしまった。長くなってしまったので、月の歌の話は、また今度。
月は流れて東へ西へ~