月は流れて東へ西へ〔6084〕2019/12/12
2019年12月12日(木)晴れ
そんな訳で、昨日の夜、会社から帰りがけに買いました。トレラン用のシューズ。昨日書いた、リレーマラソンを一緒に走ったメンバー達から贈ってもらったAlpenのギフトカードを早速使って。
普通のランシューズに比べると、底の部分がかなりゴツいのね。これで山を走るの、楽しみになりました。ああ。はやく山、走りたい・・・
走ったらレポートしますね。
閑話休題
今日の写真は、本社棟2階の営業の部屋から撮影した、今にも西の空へ沈まんとしている、真ん丸お月様。月は流れて東へ西へ~
今、閑話休題と書きました。これ、「さて」とか「それはさておき」とか「それはともかく」とか、そんな感じの接続詞で使いますよね。わざわざ「それはさておき」と振り仮名振ったりして。無駄話や横道に逸れた話から本題に戻すとき、使ったりする。
でも、そもそもこれ、名詞だったみたい。
まあ、見るからに名詞ですもんね。体言止めで。でも、「大辞林」での「閑話休題」は「接続詞的に用いる」との説明しかないし、我らが「大言海」にいたっては、そもそも閑話休題という項目すら立ってない。
そこで、小学館の「日本国語大辞典」をオーテピアで見てみたら。あった。名刺の「閑話休題」も、ありました。
名詞「本筋からはずれて語られていた話やむだ話をやめにすること。」
そう。無駄話をやめる「こと」なのである。これを接続詞にしてしまったのは誰なのか。
そもそも、名詞としての使用例も、江戸時代後期だから、たぶんそんなに古くから使われてた訳ではないね、たぶん。小学館「日本国語大辞典」の「閑話休題」の、接続詞としての例文の初出は、なんと我らが幸徳秋水さんの「鳥語伝」という文章だ。もっと古い時期のがあるかも知れんけど、少なくとも小学館的には、幸徳秋水なのである。
で、「明治社會主義文學集」の第二巻に所蔵されてる幸徳秋水先生の「鳥語伝」を見てみると、あった。ありました。明治35年の萬朝報に書かれた文章。
「閑話休題、哀公は表章を御覧りて、又も公冶長が益なき藝語を申し出でしょ、と不興の體にて・・・・」
閑話休題の後に「、」があるから、確かに接続詞として使っている秋水先生。
これ以降、日本では、閑話休題を接続詞として使うのが流行ったのかどうかは知らんけど、まあ、昭和の頃はよく使いましたよね。
この例文に出てくる公冶長という人物は孔子の弟子で、質素で控えめだけどもとても優秀で頭の良い人物らしい。そして、鳥の言葉を解するのである。
こないだ「猫語のひみつ」という本のこと紹介したけど、公冶長さんは「猫語」ではなくて「鳥語」を解する人物だったのであります。「鳥語のひみつ」という本は書かんかったけど。
閑話休題、西の空に沈むお月様の話でした。
でももう、文章長くなってしまったので、その話はまた今度。
月は流れて東へ西へ〜