急行あしずりの時代から2700系へ〔6070〕2019/11/28
2019年11月28日(木)小雨
朝6時の南風に乗って、本州方面へ向かってます。岡山行きの南風2号は、2700系。この9月28日から導入された新型車両、2700系に乗るのは今朝が初めて。新しいのは、確かに気持ち良い。
今まで(2000系)との違い。
Wi-Fiが完備。四国山地の中でどれだけ使えるか。
と、儚い期待を胸に抱いたけど、やはり山中では使えませんでした。当たり前か。
各座席に電源完備。これはちょっと、嬉しい。多目的トイレも完備。僕も使うことになる日があると思うので、嬉しい。
残念なのは、自販機がないこと。そう。2000系には飲み物の自販機があったのに、ない。もちろん車内販売もないから、これはちょっと不便ね。
それから、防犯カメラがあっちから睨んできてる。これもまあ、時代ですな。
以前、僕らの世代にとって、土讃線の優等列車は急行「あしずり」、という話、書いたと思います。そう。僕ら少年にとって、高松へ、そして宇高連絡船に乗って本州へと向かうには、急行「あしずりに」乗るものだった。昭和47年に夢の特急「南風」が登場するまで。
これね。僕らの世代限定の感覚らしい。ピンポイント中のピンポイント。
と、いうのも、土讃線の優等列車は、昭和25年に客車準急列車「南風」が登場し、昭和43年に急行「あしずり」となるまで、「南風」だったから。
だから、「南風」がなくて「あしずり」が主力優等列車だったのは、昭和43年から昭和47年というピンポイントで、僕が小学校2年生から5年生の間だ。鉄道を知り、汽車が好きになり、時刻表マニアになった、まさにその時期がピンポイントの「あしずり」時代だった訳だ。
どうでも良いですか?
そう。その頃、土電の高知駅前終点は、ここでした。停留所を降りると、歩道橋を渡って高知駅方面へと歩きましたね。今は駅舎の真ん前が停留所になったから、便利便利。
今朝の写真。歩道橋に「←高知城」と書かれた表示板があります。その左をよく見てみよう。あそこに階段があった痕跡が、見えるのであります。わかりますか?
そう。あそこから階段で降りてきたところが、土電の電車の高知駅前停留所でした。覚えてますか?
少年は、土電の電車をここで降り、歩道橋を渡って高知駅へ向かう。まだ木造だった高知駅の窓口で切符を買って、急行あしずりで高松まで行き、宇高連絡船で宇野。急行鷲羽に乗って、大阪へ行きました。大阪万博を見る為にね。昭和45年のこと。
今、気づいたけど、この2700系って、結構乗り心地、良いみたい。2000系と同じ仕組みの振り子式と聞いてたけど、揺れがスムーズである気がします。
技術は進歩し、時は流れる。