探検!新堀川〔6068〕2019/11/26
2019年11月26日(火)晴れ
今日の午後。数時間お休みを頂きました。古い知人から、新堀川探検を誘われたので。新堀川を、暗渠部分も含めて川船で探検しよう、という試み。こんな貴重な機会はなかなかない、ということで、やってきました。
新堀川は、藩政期初期に整備された堀川。横堀。かるぽーとの北側を東西に流れる堀川が縦堀で、堀川とかるぽーと前で交差する南北の新堀川が横堀。正確に申しますと、新堀は、現在のはりまや橋小学校の南側にあって、横堀につながってた堀。だけども、今は横堀が新堀川と呼ばれるようになりました。ややこしいけど。今は。
今は、というのは、新堀川が川としての風景を見せてくれなくなろうとしているから。ご承知の通り、南北に広い道路が建設されてて、現在開渠になってる部分も道路の下に沈んでしまう、という計画なんでございます。
現在の航空写真は、こう。江ノ口川から南の、以前こんな風景だった新堀川はすでに無く、道路になってしまいました。そして、残された部分も、計画がどんどんと進んでるのが、今。
僕が子供の頃の航空写真は、これ。こうやって見ると、藩制期の頃の川幅、想像できますよね。かなり広かった、堀。
そりゃあそう。高知の城下は、水の都。水路が網の目のように走り、その大動脈が堀川と横堀だった。多くの船が行き交い、川辺の雁木から荷揚げされ、城下の生活を支えてた。そんな風景が、ありました。
今日の探検は、すでに暗渠になってしまった部分を川船で探検し、往時の気分に浸ってみよう、というもの。また、往時の痕跡があったら素敵だ、とも思うし。
今日は、今回の工事計画に伴って横堀公園界隈の石組みとかの発掘調査をされてる、埋文の方もお誘いしました。そんな訳で探検開始。
探検に使った舟は、和船。片岡さんという方が自分で作られた、和船。定員3名。本当は露で漕がんといかんのですが、ようしませんきに、カヌーのパドルを使いました。
かるぽーとの東、大鋸屋橋の東の浮き桟橋で乗り込み、西進して暗渠へ。
意外と、きれい。真っ暗い中、ライトを照らして進む。暗渠の中の両脇はコンクリ護岸。向こうが明るくなってきたところで撮影したのが、この写真ね。この向こうが横堀公園前で、石灰岩の亀甲積みや砂岩の矢羽積み、布積みなどが見られる石積みの見本市みたいな場所へ、出ました。
一緒に乗船してくれたのが埋文の学芸員さんだったから、詳細にしてマニアなマニアな解説付きという贅沢さね。
算木積みと亀甲の境界部分の解説や、西岸石積みの材質が下から上へ変化してる話など、まあ面白い。いわゆる高知の産業史、みたいな部分もあって、興味深いことこの上ない。そんな贅沢な船旅で、帰りは、東岸沿いから暗渠へ入りました。
この写真は、行きがけのもの。帰りは、この右の柱の向こう側を通った訳です。その向こうの壁面をよくご覧ください。レンガが見えます。
埋文の方も、ちょっと興奮してました。これは意外なレンガ積み。
縦と横を交互に積むナントカ、と言うてました。たぶん、まだここに四ツ橋があった頃の、橋の一部の痕跡ではないか、という見解。なるほど。面白いもの、残ってましたね。
護岸の石積みを間近に見ながら解説を聞き、レンガ積みを発見し、そしてなによりも、かつて横堀があった頃の川幅を体感することができて、良い探検となりました。
関係者の皆さん、ありがとうございます。
どんどんと工事の計画は進むけど、ここにはこんなものがある。その事実を確認し、未来へとその事実を伝えていく責務が、僕らにあるということ。それが確信できた、時間。