埋文とシンクロ〔6061〕2019/11/19
2019年11月19日(火)晴れ
昨日、所用があって高知県埋蔵文化財センターさんへお邪魔してました。その所用については、実に興味深い事柄でありますので、後日満を持しまして。乞うご期待。あんまし期待されても辛いけど。
で、偶然、新堀川護岸の発掘調査を担当されてる方ともお会いしました。
こないだ、11月3日に現地説明会やってたんですね。見逃してました。迂闊にも。
これ読んで、ビビッときました。うーん。石積みだ。
このにっこりを読んでくれてる皆さんはご承知かも知れんけど、最近、ちょっと石積みにハマってます。この「石積の秘法とその解説」というマニアすぎる本を買ってしまったくらい、ハマってました。
なので、亀甲積みとか矢羽積みとか布積みとかの用語はマスターしてます。そんな僕の最新知識である石積み用語が、その資料に書かれているではないか。
こないだ、10月20日のにっこりで、新堀川護岸の石積みについて書いたんですね。横堀公園側の亀甲積みと、西岸の布積みについて。
そしたらば、11月3日開催現地説明会の資料にも、亀甲積み、布積みのことが書いてあるので、ビビッと来た訳だ。訳です。
昨日、発掘担当の方に聞いた話は、これまた興味深い。この資料にもあるように、横堀公園側の亀甲積みは、石灰岩。そう。チャートでも砂岩でも、ましてや花崗岩でもない、石灰岩。石灰岩の石積みというのは、全国でも、珍しいんだそう。高知以外では沖縄くらいらしい。
高知は、石灰岩の地層が多いので、手に入りやすい石材ではある。でも、石工さんに言わせるとなかなか加工はしづらいらしいので、珍しい石灰岩の亀甲積み。
新堀川護岸では、明治になってからの亀甲積みから、後年の矢羽積みなど、その時代時代を表現するような石積みがたくさん見られるそうで、それを整理編年したら、面白い高知の産業史、土木文化史が見えてくるんではないか、という話も、あります。ああ。面白い。面白くないですか?
そんな訳で、今朝は、出勤途中に石灰岩の亀甲積みを撮影しました。
ここは若松町。海岸通のひとつ北側の通り。海岸通は、明治期に築かれた堤防の通り。で、その北側は0m地帯。堤防を兼ねた海岸通を築くのに際して積まれたのかどうか知らんけど、この通りには亀甲積みの石組が散見されるんですね。しかも石灰岩。ここにもあった、石灰岩の亀甲積み。
この写真の石組みは、石灰岩の亀甲積み。正確には並亀甲という、正六角形よりはかなりひしゃげた亀甲型の、石積みね。
下端が根石で、上端が天端石。
こんな石灰岩の石組みが積まれた時代は、明治の初期なんだろうか。
新堀川に見られる矢羽積みは、「石積の秘法とその解説」によると、明治30年代に中央線の鉄道工事をする際に、その石積み職人さんたちによって工夫、確立された技法と書いてあるので、大正かあら昭和初期に積まれたんでしょうかね。
石の積み方で想像がふくらむ。妄想がふくらむ。ああ。楽しい。