空港、酪農、南国工場〔6062〕2019/11/20
2019年11月20日(水)晴れ
朝5時の高知空港。立っているのは、この場所。空港ビルの北側の駐車場の更に北。高知大学農学部の牧場に接する道路脇の、以前、吉田茂さんがおった界隈でしょうか。
で、手に持ってるスマホには現在地が青い丸で示されてるけど、スマホに表示されてる航空写真は1970年代のもの。そう。高知空港がジェット化される前の、「日章の飛行場」と僕らが呼んでた頃の航空写真。地理院地図のスマホアプリだとこんな感じで、PC版の地理院地図で見ると、この地点になります。
こうやって見てみると、あの頃の空港ターミナルビルは、現在の駐車場辺りにあったこと、わかります。もう、記憶も薄れてきたけど、そんな場所にあったんですな。
ターミナルビルと書いたけど、ビルなんてーもんではなくって、田舎のバスターミナルみたいな感じの小さな建物でした。狭くって、ごった返してた、高知空港。
以前にもご紹介したけど、この動画で、その頃の高知空港の様子を少しだけ垣間見ること、できます。3分12秒くらいから。
1960年代の航空写真をみると、戦時中に海軍が航空隊と飛行場をつくったときの風景が想像できます。四角く切り取られた土地の対角線に滑走路。軍の力で、自然地形を無視して幾何学的に土地を切り取ってること、よくわかります。そして、過去、幾度もの津波や洪水から住民を守ってきた命山「室岡山」も、切り崩されたという歴史。
でも、ここに海軍がやってきたことで、あることが始まる。
海軍さんは、たくさんの若い兵隊さんをかかえていて、毎日毎日たくさんの食糧を必要としておりました。海軍は、陸軍よりも、栄養面も考慮したメニューが供されてたと聞きます。今も海軍カレーとかが有名であるように、洋食化も進んでたと思われる、海軍。
なので、海軍さんに納入する「牛乳」が必要とされたのでした。どうするか。海軍の要請を受けた地元では、近在の農家に乳牛を飼育してもらうことにしたのでした。
そうやって始まった、日章地区の酪農業。戦後になっても、日章地区の酪農業は発展を続けたのであります。
そんな県下有数の酪農地帯に、高知牛乳食品KKが工場を建てたのが、昭和40年。
ここに海軍がやって来なかったら、高知の酪農の歴史も違ったものになった訳で、ひまわり乳業の工場も、日章に建てられることはなかった訳で、歴史というものは不思議だな、と。つくづく思うのでありました。