屋島、メサ、安山岩〔6048〕2019/11/06
2019年11月6日(水)晴れ
高松の、屋島。
昨日、業界の寄り合いがありまして高松市内に泊まってました。なので、朝、5時に起き出して海岸通りを東へ。そして屋島。以前は、急傾斜の登山道を駆け上がったけど、今日は車道。初めて屋島走った12年前は、そのドライブウェイは自動車専用だったけど、いつの間にか人も歩けるようになってました。ので、今朝はその眺望絶佳の道を駆け上がる。
途中、源平合戦の屋島の戦いが繰り広げられた古戦場を見下ろすことができる、道。
屋島の標高は292m。結構、あります。太腿裏の痛みは、昨日行った鍼で治ったんですね。スポーツ鍼で有名なM堂さん。太腿の筋が痛んでるのではなくて、ふくらはぎの凝りが原因なんだって。で、鍼を打つのは腰。なんと、腰に打った鍼でふくらはぎの凝りが解消し、太腿裏の痛みがなくなる。すごい。
そんな訳で快適に駆け上がってきました。
屋島のてっぺんは平かな場所が多い。もちろん源平合戦の史跡も多いんだけども、今朝ご紹介するのは、ここ。屋嶋城。これで「やしまのき」と読みます。
10年前に屋島へ駆け上がったときも、「屋島城跡」という標識の前で撮影してるけど、こんなの、なかった。
乙巳の変で政権を掌握した中大兄皇子たちが、百済を救援して唐・新羅連合軍と戦い、こてんぱんにやられたのが白村江の戦い。663年。で、負けて帰った中大兄たちは、唐・新羅が日本へ攻め込んでくる、という恐怖に駆られて、あちこちに防御の城を築いたのはご承知の通り。水城とか大野城とかね。その中の一つが、屋嶋城。発掘で発見された城門が、ここ。いろんな資料を勘案して復元したのが、この姿ね。右端に高松駅、サンポートが見える、高松の市街地を見下ろす風景だけども、屋嶋城の時代は、ほとんど、海でした。
屋島は、瀬戸内海に浮かぶ島だった。
以前にも書いたけど、地質学でいうと、メサ。特徴ある台形の島は、てっぺんが平らかで広く、その周囲が切り立った急斜面。だから屋嶋城が築かれたし、平家もやって来た訳だ。
メサは、花崗岩を基盤とする地層に火山活動の溶岩が貫入したもの。1500万年くらい前のこと。花崗岩の上に乗っかった溶岩は固い安山岩となる。それが、長い長い年月の間に風化侵食し、周囲が崩れ落ちて台形になったのが、メサ。
固い安山岩は、サヌカイトとも呼ばれて石器の材料として重宝されてます。カンカン石。叩くとよく響く。その固い安山岩が表面を覆ったので、上部がなかなか風化されず、側面が急斜面になっていった訳ね。
今日は、登山道を駆け下ったけど、確かに安山岩の山。隣に庵治石で有名な山があって、花崗岩の山が多いのに、屋島の上部は安山岩ばかり。面白いよね。面白くないですか?
10年前に駆け上がったときは、地質のこと知らんかったけど、今はわかる。楽しさ倍増。
花崗岩に溶岩が貫入し、安山岩ができる。それが風化侵食し、上が平らで側面が急傾斜の山となる。その自然の営みのおかげで、お城が築かれ、今は観光名所になっている訳ですね。