秋深し。謎深し。〔6039〕2019/10/28
2019年10月28日(月)晴れ
こないだから、少し気になってたことを、確認してきました。
文珠通。
土電の電停には独特の命名ルールがあって、その停留所から、どこにつながる道が延びているのか、というのが重要視される、という話、こないだ書きました。住吉通とか、領石通とか、介良通とか、田辺島通とか。その中に、文珠通も、あった。ありました。
五台山山頂の名刹、31番札所、竹林寺さんの御本尊が文殊菩薩像ということで、そこにつながる道だから文珠通。
でも、文珠通電停のところからまっすぐ南へ行くと、途中で突き当たってしまい、道が延伸していないのである。つまり、文珠通電停は、文殊菩薩へつながる道のところに、ない。実際は、電停から東へ100mの、高須小学校西側の通りが、五台山へとつながる道なので、ある。
これ、電停ができた頃もそうなのか?
調べてみました。幾度かご紹介してきた、参謀本部が昭和8年に修正した5万分の1の、地図。これを見ると、やはり、五台山へつながる道は、今と変わらない。だから、そもそも文珠通という電停の位置が、文珠通から100mほど西へずれている、というこのなので、ある。そういうこと。
いま、思い出しました。
そうか。文珠通という電停、2000年頃に、折り返し電停になって大きくなったんだった。その際に、現在地に移っただけで、以前はもっと東、つまり文殊菩薩へつながる道のところにあったのか。いや、そうだ。そんな記憶、あります。なるほど。だから、現在の文珠通電停が文珠通と離れた場所にあるのか。納得納得。
でも、新たに納得できんことが発生したのである。
今まで、文珠通、文殊菩薩、と書いてきました。もんじゅどおり、と入力すると文珠通だし、もんじゅぼさつ、と入力すると文殊菩薩。わかります?
土電の電停は文珠通。「珠」。証拠は、これ。文殊菩薩は「殊」なのだ。
文珠通電停ができたのは、明治43年のこと。その時から文珠通。文殊菩薩をはばかったのか。それとも単純に、担当者が間違えたのか。ああ。謎だ。謎。
写真は、今朝、3時半頃の大島橋。ここ。現在の文珠通電停から東へ100mにある文殊菩薩へつながる道を南進し、絶海池を渡る、橋。この道は、一宮の30番札所、善楽寺さんから竹林寺さんへ向かう遍路道。五台山に突き当たった界隈に、山へ登っていく遍路道が、あります。
そしてあの、鉄塔の近くまで登ると、竹林寺。その御本尊は文殊菩薩像。
文珠通と文殊菩薩の謎は、秋の深まりとともに、深まっていくのであった。
そんなことより、月曜日。さあ、仕事仕事!