潮見台を見下ろす夜景〔6037〕2019/10/26
2019年10月26日(土)晴れ
ここ。標高172m。潮見台ニュータウンの一番高いところから、更に少し上がったここ。眼下にニュータウン。そして高知の夜景。美しいね。
昨日、広島から帰ってきてます。今日は朝からお仕事で、帰りに走りました。随分と涼しくなり、走りやすくなった、この季節。
この時間に、まだにっこりひまわりを更新してないと、ちょっとドキドキしますな。今、夜の8時半。この夜景をにっこりで紹介したいと思いつつ、その日に撮影した写真を使う、というルールがある以上、なかなか実現しにくい潮見台の夜景。
僕は、ここからの夜景が、結構好き。
潮見台というくらいで、海、見えます。太平洋。でも、ここは団地の一番高いところからでも30mくらい上がってて、団地を見下ろす場所にあるから、海、見えます。
しかし、団地のほとんどは北斜面に造成された宅地に建ってるので、海が見えるのは、てっぺんの三丁目の、南端に位置する家に住んでる皆さんだ。
海は見えるけど、標高高いので、自転車とかだと大変。標高を取るか海を取るか、という選択を迫られたのかどうかは、知りません。潮見台。
ここが団地になる前の航空写真は、これ。こんな山に宅地を造成しましょう、と考えたの、誰なんでしょうね。高知の場合、平野部に、それこそ市街化調整がかかってなくて浸水しないような土地が少ないから、どうしても団地というと、山になる。
この山は、太平洋戦争の末期、陸軍第11師団司令部が置かれ、要塞化されようとしていた、山。今も、山中には、壕の跡などがたくさん残る、山。
鉢伏山と介良富士は神の棲む山だったから、山を掘り返して要塞化しようとした人たちを、神様はどう思ってたんだろうか。
結局、昭和20年8月15日に終戦を迎えたので、米軍の攻撃に晒されることにはならなかった、鉢伏山。
もし、陸軍が主張していたように本土決戦になり、戦争が継続してたら、この山はどんなことになってたのか、想像するだに、恐ろしい。
今は、こうやって平和に人々が暮らす、住みやすい、団地。僕の苦し心地よいランニングルートとして、とても重宝している潮見台。
今晩も、夜景、とても美しゅうございました。夜も遅いので、今日はこれっぱあにしちょきます。