秋〔6034〕2019/10/23
2019年10月23日(水)晴れ
昨日は久々に走って帰りました。なので今朝は自転車出勤。自転車で走ると、街のあちこちから、金木犀の匂いが漂ってくる季節になりました。秋深し。
写真は、会社、本社棟前の金木犀。昔、僕が中学生の時に住んでた実家にあった金木犀。その古い家を取り壊す時に、ここに移植してきたもの。大きい金木犀になりました。
その手前には秋咲きのひまわり。最近いろんなひまわり、ありますね。春咲いたり秋咲いたり。金木犀の匂いの中に咲く、ひまわり。少し、かなり、不思議な感じもします。ひまわりが咲いてるけど、秋深し。
昨日に引き続いて「大言海」。
秋のつく言葉を調べてみました。
長秋 なが-あき
ナガイホアキ(長五百秋)に同じ。長き年月。永遠。長久。
麦秋 むぎ-あき
麦のとりいれどき。むぎのあき。転じて陰暦五月の異称。
千秋 ち-あき
ちとせ(千歳)に同じ。
他にもあるけど、秋という言葉は、年月であったり、実りであったりを表現することが多い。その他に、寂しさとかを意味するケースも、ある。
心秋 こころ-の-あき
人に厭きられて、心の寂しく感ずること。
こんな言葉、今は使わんけど、大槻先生の時代には使ってたのか。
あと、秋と書いて「とき」と読ませること、あります。この用法は、上記の年月とか実りの季節とかの用法にも関係するけど。秋は、収穫の季節であり、一年でもとても大切な時期。だから、年月を表現する時、その重要な季節を取り出して使うようになりました。
秋を「とき」と読むのは、諸葛孔明の、有名な「出師の表」が出典だと、ネットで調べたら書いてます。真相は、知りません。危急存亡の秋、と書いてききゅうそんぼうのとき、と読む。
当たり前だが、孔明が「ききゅうそんぼうのとき」と言うた訳ではなくて、日本語に読み下す際に、誰かがそう読んだのでしょうね。で、この「秋」は「重要な時」を意味してるので、「とき」と読んだのか。誰が読んだのか知らんけど、Good Job。
今も、時折、「秋」を「とき」と読ませる文章に行き当たること、ありますよね。普通の「時」ではなくて、重要な時を表現したい時の「秋(とき)」。
金木犀の匂いが、噎せ返るほどに漂う季節、秋(あき)。
地球上の国々で自国主義、現在主義が高まり、温暖化などの環境変化への対応は二の次になっていて、今、我々の地球が迎えているのが、危急存亡の秋(とき)。この「秋」は、重要な時という意味だけど、なんか、寂しさも漂ってます。