勝鬨橋と東京〔6029〕2019/10/18
2019年10月18日(金)小雨
小雨の東京。今朝も、5時から走ってきました。
写真は、今朝5時過ぎの勝鬨橋。築地に市場がなくなっても、勝鬨橋は早朝からたくさんのトラックが行き交います。
以前にも書いたけど、勝鬨橋は、1970年頃まで、開閉するようになってました。丁度、この写真のところ。1日に5回くらい開閉してたらしい。電車も走ってた訳だから、なかなかの技術ね。
完成したのは昭和15年6月。もう、戦争が近づいてた時期。その年、月島で万国博覧会を開催する予定だったので、それに合わせて作られたのでありました。結局、万博は開催されんかったけど。
隅田川にたくさんの鉄橋が架けられたのは、大正末年から昭和のはじめ頃。関東大震災の復興事業という意味もあったし、ワシントン軍縮会議で、戦艦や空母が各国で制限され、日本も、建造する予定だった戦艦とかが必要なくなったので、その為に準備していた鉄とかを利用して架橋が行われた、という側面もあったらしい。
だから、架橋には、造船会社が関わってる例が多いとのこと。
震災復興とか、博覧会に合わせてとか、なんか聞いたような話。
今朝は、ここから月島、豊洲市場、晴海界隈を走ってきました。月島には、オリンピックの選手村が建設されてました。そうか。あそこに泊まるのか。新しい道路。新しい橋。豊海から築地の方へ渡る橋は、景観をよくするライトアップ工事とかいうのが実施されてて、公共工事はオリンピックに向けて喧しい。復興五輪ということですね。
いや、関東大震災の復興事業で、東京にたくさんの橋や道路、公共インフラが整備されたのは、わかる。わかるけど、東日本大震災の復興を期して東京でインフラ整備が行われ、資材が高騰し、建築コストがあ高騰してるのはどうなんでしょうかね。
高知でも、資材不足でイオンの南の架橋工事が遅れに遅れてるしね。知らんけど。
でもまあ、戦争直前に、よくもまあこんな優れものの橋、つくったもんだ。航空写真を見てみよう。現在のが、これ。この築地市場は、もう、すっかり取り壊されたけど。その、何もなくなった築地市場跡の写真は、寂しすぎるので、よう撮影しませんでした。
まだ勝鬨橋が開閉してた頃の航空写真は、これ。戦後間もなくの、1日に5階開閉してた頃の写真が、これ。
どっちも閉じてるのが残念。地理院地図の単写真でも、開いてるのないかと思って探してみたけど、ありませんでした。
そして。1936年、昭和11年の写真が、これ。当然だけども、勝鬨橋、ありません。そのころは、築地と月島の間が渡船が結ばれてました。日露の頃から。
築地に市場ができ、渡船が運行するようになり、大地震があり、橋が架けられ、戦争が終わり、開閉式が活躍し、オリンピックが開催され、開閉しなくなり、大地震があ理、市場が豊洲へ移転し、オリンピックが開催されるのが、来年。