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隅田川の風景〔6028〕2019/10/17

隅田川の風景

2019年10月17日(木)薄曇り

東京。こないだ大雨が降った東京。都内の中心部は、何事もなかったような風情で、サラリーマンが忙しそうに行き交う風景。でも、まだ水も引いてない地域もあります。いや、酷い台風でした。

 

昨夜は有楽町のガード下、老舗の居酒屋さんで飲んでました。実に、落ち着きます。ガードの東側はコリドー街とかの小洒落た街になってて、ちょっと苦手。やっぱし落ち着くガード下。サッポロラガービールとホッピーと日本酒でまったりまったり。とっても落ち着くガード下。

 

で、今朝は5時に起きだして、隅田川RUN。隅田川、台風で増水してたとは思いますが、今朝はいつもと変わらぬ隅田川。早朝から多くの善男善女が歩いたり走ったり。水辺の空間は、やはり素敵です。

勝鬨橋を東へ渡り、月島から佃島を北上。住吉神社さんにお参りし、越中島へと北上。途中で隅田川を渡り、右岸を南下して築地へと帰るルート、10km。

 

こないだ、半藤一利さんと宮崎駿さんの対談本を読んだけど、お二人とも隅田川界隈には縁があって、昔の隅田川の話が出て来ます。昭和25年の朝鮮戦争までは、とてもキレイでのどかで春のうららの隅田川であった、という話。朝鮮戦争の頃から工場ができ始め、水が汚れ、風情がなくなってしまったんだそう。

僕は、学生の頃は、隅田川界隈に来たこと、ありません。いや、木場の友人と門前仲町で遊んだりしたことあるけど、月島や佃島は知らない。だから、僕の記憶の月島や佃島は、タワーマンションが建ち始めた、月島、佃島。

 

でも、少しだけ、昔ながらの路地や水路が残ってて、雰囲気を味わうことは、できます。

かつて、今の佃島大橋のところに、渡し船が通ってた話は、以前にも書きました。昭和39年まで。当然僕は知らん訳だけど、今も、このような碑が、ここに渡船があったことを教えてくれます。

この碑は、築地側のもの。佃島側にも、あります。昭和2年、手漕ぎの渡船が廃止され、エンジン付きの東京市営の渡船になった際に建てられたらしい。と、言うことは、昭和2年までは手漕ぎだった訳だ。江戸時代の初めの頃から。

 

結構、川幅、あります。で、汽水だから、潮の満ち引きで、流れが急なこともある。それを手漕ぎで、多くの人を乗せて往来する船頭さんは、なかなかのもんだったと思いますね。

現在の航空写真はこれで、碑が立ってるのは十字の場所ね。

 

僕が学生の頃の航空写真は、これ。川に、たくさん、何かが浮かんでる。おう。材木だ。こっから東へ行くと木場だから、貯木場があったのか。もちろんこの頃にも渡船はなかった訳だけども、タワーマンションがない、のっぺりした佃島が、写ってます。

 

この写真が、佃大橋ができる直前のもの。橋の工事でしょうかね、こっから川の中ほどに向けて何かのオブジェが突き出してます。ここに渡船があった、最終末期頃の、写真。

戦後すぐの写真は、これ。倉庫みたいなのができて、いち早く戦災から復興してたエリアだと言うこと、わかりますね。渡船が一日70往復してた、そんな時代。半藤一利さんが、東大ボート部の練習でボートを漕ぎまくってたのが、この隅田川ということになります。

 

そして昭和11年。もちろんカミソリ護岸はなくて、川辺に、波が打ち寄せてる隅田川。そう。春のうららの隅田川は、こんな感じの隅田川。

 

どんどんと変わる風景。12年前は、まだ、ビル工事がどんどん行われてた佃島界隈でしたが、この12年でも、随分と変わりました。

タワーマンションを見上げると、あのマンション1本に、大川村全人口よりも多くの人が住んでるんだな、と、思ってしまい、日本って何なんだろう、とか思ってしまうのでした。

昨日書いた、日章小学校の4年生が大人になる頃には、どんなになってるんだろう。僕らは、あの子たちが、幸せに暮らしていける世の中にしていく義務を担っています。

そんな義務、果たせているんだろうか。


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