愛宕山の知らなかった風景〔6025〕2019/10/14
2019年10月14日(月)晴れ
台風は、やはり大変な被害をあちこちでもたらしてます。最強台風と言われてました。テレビやラジオでは、事前の備えや心構え、避難について幾度も幾度も繰り返し報道されてました。が、それでもこの結果。大自然と人間が折り合いをつけることの難しさ。
昨日も書いたけど、大切なのは、この地球の現状を人間の手で悪化させないこと。そして、折り合いをつけていくこと。そう思えてなりません。
そして、日本列島悲喜こもごも。台風による被害による悲惨な状況があると思えば、ラグビーW杯で日本が8強進出の朗報があったり。
日本が勝つのは、素直に嬉しかったりするけど、僕は、スポーツがナショナリズムを高揚させすぎるのは、好きではありません。そんな意味で、ラグビーの、あの勝っても負けてもお互いの健闘を称え合う姿は、昔から大好きでした。そして、僕らが観てた学生ラグビーとは、これまたレベルが違う迫力とスピードの試合は、凄いね。凄い。素直に、凄い。
昨日、東日本では台風が猛威を奮ってた頃合い、晴れ上がった高知では、あちこちから、軽快な音楽と歓声。無事運動会が開催できた保育園では、園児たちが一生懸命走ったり転んだり。
それが、広い日本で暮らすということ。広いから、いろんなことが起こったり起こらなかったりの悲喜こもごも。そしてそれなりに、知恵を絞って大自然と折り合いをつけてゆく。
今朝は、市内中心部から北部を走ってきました。約10km。普段走らんような場所を走ると、色んなものや風景が新鮮で楽しい。半世紀以上暮らしてる高知なのに、まだ、知らない場所、新鮮な土地がたくさんありますね。
路地やらなにやらを探索し、そして愛宕山へ。
高知の愛宕山は、標高40m。東京の愛宕山は標高25.7mだから、高知の方がちょっと高い。かつて、現在の高知市街地が古浦戸湾の底だった頃、この愛宕山は古浦戸湾に突き出した岬であり、その麓には港町がありました。中津。
大津、小津は今も地名が残るけど、中津は地名の痕跡すら残ってません。
この山に愛宕神社が火伏せの神様として勧請されてきたのは寛永六年だから、藩政期初期。でもこの小山、それまでも恐らくは神様が棲む山として尊崇されてきた気配があります。
愛宕神社へとつながる石段は、今朝駆け上がりながら数えてみたら204段。おう。1964年東京オリンピックの階段よりも長いぞ。なかなか苦し心地良い長さの石段でした。
山頂界隈は、鬱蒼。少し藪漕いで、蜘蛛の巣に引っかかりながら下ると、住宅街。山の北東は、山のてっぺん近くまで住宅が建って、宅地化されてます。
けど、その脇を下っていく山道がある。
その道は、人はあまり通らんらしくて蜘蛛の巣だらけ。でも、下っていくと、こんな風景。おう。畑だ。
山の斜面、少し広くなった場所に、畑。宅地と山の間。この道、初めて通りました。高知で半世紀以上暮らし、秦泉寺でも合計10年以上暮らしたというのにね。世の中は知らないことだらけだ。
畑の中にチャートの巨岩。この山の成り立ちを、岩が教えてくれます。
東京の愛宕山は洪積世段丘だけど、高知の愛宕山は付加帯。
火伏せの神様は、もちろん自然による火の脅威もあるけど、どちらかと言えば、大自然の脅威というより、人間の営みによっる災害を防止してくれる神様。
でも、今は、大自然の脅威が、人間の営みを遠因とするようになってきている訳で、神様もなかなか大変になってきました。