163段と167段〔6023〕2019/10/12
2019年10月12日(土)曇り
今朝の高知は、強風。でも、雨は降ってません。東へ逸れていってくれたので、比較的ですが、静かな朝になりました。
これから台風19号は関東の方へと上がってい来ます。凄い勢力と大きさで。くれぐれも、被害のないことを祈るばかり。
昨夜は走って帰ったので、今朝も走って出勤。風が強いので、向かい風になったりすると、なかなか進まん。でも、舟入川沿いの堤防上は、いつものように犬の散歩をする方も多くて、比較的いつもの風景。途中、ここ、大津の関の水道タンクの山に駆け上がってみました。
関の集落から水道タンクまで、このような直線の階段が設えられてます。ここを一気に駆け上がると、ふうふうゼエゼエ。苦し心地良い。
もうね。頂上近くになると腰は折れて俯き加減でやっとこさ。視線は足元しか見えてない。
以前にも書いたけど、あの、1964年の東京オリンピックで聖火台に点火したランナー、美しいフォームでした。いっぱい走ってきて、片手にトーチ持って、あの長い長い直線の階段を、まったくフォームを崩さずに駆け上がる。息も切れてない。この階段を駆け上がる度に、あの聖火ランナー坂井さんを思い浮かべてしまうのであります。
あの東京オリンピックの階段は、このページによると163段。ここ、水道タンクの階段は、今朝、数えてみました。167段。だいたい、おんなじ。
だから、会社から片手に重いデジカメか何かを持ってここまで走り、この階段を、美しい姿勢で駆け上がることができたら、僕も聖火ランナーになれる訳ですね。まだオファーは無いですが。
あの最終ランナーの坂井さんは、広島に原爆が投下された昭和20年8月6日に、広島県で生まれました。平和が訪れた象徴であった、あのオリンピックの最終ランナーに坂井さんが選ばれたのは、そういうこと。
来年のオリンピックが「復興五輪」という位置付けであることを考えると、自ずと、聖火ランナーは想像できてきます。
東日本大震災が起きたのは2011年で、来年は2020年。あの震災の日に生まれた子は、9歳になります。
9歳の子に、あの1.2kgのトーチを持って、こんな階段を駆け上がらせるのは、難しい。でも、何人かのリレーにするとかなら可能か。
開会式と、聖火台がどんなしつらえになるのか知らんけど、復興五輪の聖火最終ランナーは、そんな子供たちがふさわしい気も、します。
前の東京五輪の真似するのは、嫌、というプロデューサーだったら、別のこと考えるろうけど。
僕は、別に真似は嫌ではない。だから考えるとしたら2011年3月11日に被災地で産まれた子が、ちょっとずつ繋いで繋いで、聖火台へ。点火するのは、福島の子。
まあ、そんなことにはならんでしょうけどね。