福井と高知、土佐と越前〔6018〕2019/10/07
2019年10月7日(月)晴れ
爽やかな、朝。月曜日が爽やかだと、なんか、嬉しい。
昨日ご紹介した、福井の安田蒲鉾さんは、福井市中央卸売市場の近くに所在し、市場の中にも店舗があります。
福井市の市場は、水産物も含めて中央卸売市場でした。そう。中央卸売市場。
写真は、今朝の弘化台。高知市中央卸売市場(青果部)と、高知市公設水産地方卸売市場の正面玄関ね。高知市では、平成24年度から、水産部は中央卸売市場から地方卸売市場に降格となってます。高知市の中央卸売市場は、昭和5年、全国でも京都に次いで2番目に開設された歴史を持つけど、取扱高の減少で、中央卸売市場の要件を満たさんなった、ということ。
ちなみに、平成25年度の、水産部の取扱量は1万7千トン。現在は1万1千トン。
福井市を見てみよう。ウィキによると、2013年、つまり平成25年度のの水産部の取扱量は1万4千トン。ん?
高知市より少ないではないか。でも中央卸売市場。たぶん、別の要件で、高知市よりも上をいってるんでしょうな。知らんけど。
なんか、ついつい高知と比べてしまう、福井県。
人口は、ご存知の通り、高知県は70万人を割り込んで下から3番目。島根県の人に、背中が見えてきたと言われる高知県。福井県はというと、80万人を割り込んでて、下から5番目。なかなか丙丁つけがたい。
でも、歴史で言えば、越前はすごい。なんというても徳川直系。家康の次男、結城秀康が藩祖ですきんね。越前宰相、結城秀康。越前福井藩は、最初は68万石。土佐の20万石とは全然違います。
越前は、畿内に近い。そんなことで、地勢的にも、日本の政治の中で重要な場所でありました。68万石って、藩政期初期では、加賀前田藩の119万石、薩摩藩の75万石に次いで3番目。
一昨日走ってきた、一乗谷なんかは、当時の日本でも有数の重要都市であったと考えられてます。だから信長は、完膚無きまで叩き潰し、一乗谷を埋めてしまった。そして重臣柴田勝家が封じられたのも、重要拠点だったからでしょうな。
その頃土佐は、辺境の土地。
もし、信長が本能寺で死んでなかったら、四国の覇者であった長宗我部元親は、朝倉義景と同じような運命だったのか。岡豊の城下は、一乗谷のように焼き払われることになったのか。それはわからない。越前ほど重要な場所ではないから、秀吉がやったように、土佐一国を安堵して、長宗我部氏を存続させたかも知れない。僕は、長宗我部は取り潰し、誰か配下の武将を封じてきたと思います。信長ならね。
福井市中央卸売市場水産部は残ったけど、残らなかった高知市中央卸売市場水産部の、朝。