松山城と加藤嘉明〔60〕2003/06/15
2003年6月15日(日)曇り一時雨
今日は愛媛県の松山市に来ちょります。道後温泉に泊まっちょりました。この温泉は街から近いし旅館は充実しちゅうしなかなかえいですねえ。
今朝は、この道後温泉から走って、松山城のある山(勝山)を駆け上がり、一番町界隈をぐるぐると廻ってきました。写真は松山城天守閣を見上げるひまわり太郎です。
この城山は標高が132mありまして、結構高いです。高知城のある大高坂山の倍以上ありますね。てっぺんまで思いきり駆け登りますと、たくさんの汗が昨夜のお酒がといっしょに吹き出てきまして、とても気持ち良かったですよ。
織田信長亡き後の天下の覇権を争ったのは、羽柴秀吉と柴田勝家でした。そして秀吉が勝家を破って最終勝者になる最後の決戦が「賎ヶ岳の戦い」です。その戦いで「賎ヶ岳七本槍」と讃えられた勇士が、秀吉陣営におりました。その一人が加藤嘉明ですね。
秀吉亡き後は徳川家康につき、関ヶ原の戦功で伊予20万石を与えられ、西暦1602年に作り始めたのがこの松山城です。その後加藤嘉明は会津若松40万石の領主にまでのぼりつめ、69歳まで生きながらえます。常に勝者について戦国の世を生き抜き、出世街道を邁進した生き方はお見事と言えるでしょう。